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      ■  2009年(平成21年)7月31日( 金)

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 孟子は、「網民」 という言葉を使っている。「民二網スル」 と読む。利益で誘い、民心を一網打尽にからめとる政治をしては駄目だ、というのである。

 これはそのとおりで、民心を誘導するための利益をだんだん大きくしなければ、網を打とうと待っていても、民衆という魚は寄ってこない。そこで、誘導する利益をどんどん大きくすることになる。その利益の中には、民衆のかついでいる荷物をこちらがかつぎましょう、というのまで入っている。

 その結果、国家の財政は歳出過剰、つまり赤字になる。

 7月晦日(みそか)。梅雨前線異常有り。梅雨明けは何時になるのか。

 

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      ■  2009年(平成21年)7月30日(木)

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 「新聞は曲がり角を迎えている。

  霞ヶ関の官僚機構が肥大化する一方で、新聞は官僚にあまりに多くの情報を依存し、結果として官僚の巧みな情報操作に乗せられてきたのではないか。役所や権力を監視する仕組みとして続いてきた記者クラブ制度も、いまや官僚が記者たちを飼い慣らすための道具になっているのではないか。

 私は長く新聞記者をしてきたが、ここ数年、そんな思いが膨らむのを抑えきれない。」

 

  長谷川幸洋は「御用ジャーナリスト」をやめた。

 

 浜茶屋の友人が閑古鳥がなくビーチを嘆いていた。

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      ■  2009年(平成21年)7月28日(火)

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 「槿花(きんか)一日 自ずから栄を為す」

   千年の松も朽ちるときが来る、あさがおは一日の栄を楽しんでいる。

 

  横浜・中田市長が2期目任期途中で辞職した。地方分権を推進する「首長連合」の呼びかけ人としての行動なのだろうが、血が騒ぐのだろう。

  「地方分権とは何か」と、先日、大真面目にしみじみと宴会で聞かれたことを思い出す。

   

  そのまんまではない、東国原知事の「我が闘争」もよいが、メディア人気で何か危うい。

  熱意のある人は本気でがんばってほしいが、この時期、世間を惑わせるだけのブームで終わってほしくないものだ。あたしゃ、個人的には、前の片山鳥取県知事に登場願いたいと思っているのだが・・・。 

 

  「不易流行」とかつて芭蕉は言ったが、重要なことと時勢を見て思う。

 

 

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      ■  2009年(平成21年)7月26日(日)

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 世の中に交じらぬとにはあらねども 一人遊びぞわれはまされる(良寛)

 

 雨のことわざ辞典を眺めていたら「雨の降る日は天気が悪い」というのもあった。

  雨が降って、読書尚友。有り難き休日。

 

 「性とスーツ」なるものを読んでみたら、なんとネクタイは男根を意味しているというのだ。女たちは、それを選んで、男たちに首からぶら下げさせていたのか。

  メタボを解消して、今年こそ、Tシャツで肉体美を誇ってみたいと思っていたのだが、妊婦のような腹部に泣きたくなる。

  ちなみに、Tシャツは、身体にフィットしないほうが、裸体を衣服のなかで泳がせている、という感覚を強めるということだ。

 

  「浮世(ふせい)夢のごとし、歓をなすこと幾何(ばく)ぞや」

 

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      ■  2009年(平成21年)7月24日(金)

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 人生は幻化に似て

 終(つい)には当(まさ)に空無に帰すべし  陶淵明

 越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人といふ転職が出来て、ここに画家といふ使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊い。(草枕)

孤独になれる能力、そして魂を内面へ向わせる努力、それが人間の幸福をきめるのだ。

 「人生は努力するかぎり迷うものだ」とゲーテはファウストのなかで、神に語らせているが、生き方の下手なことは、逆説のように響くがじつは生き方の正解である場合がしばしばある。

 友の死を悼む。

 「県議会は男を上げた」といわれた日に。

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      ■  2009年(平成21年)7月20日(月)

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  トランジスタ・ラジオ

          忌野清志郎

 

 授業をさぼって 陽のあたる場所に 

 いたんだよ

 寝ころんでたのさ 屋上で タバコのけむり 

 とてもあおくて

 

 内ポケットにいつも トランジスタ・ラジオ

 彼女 教科書広げてる時 ホットなナンバー

 空に溶けてった

 Ah こんな気持ち うまく言えたことがない

 

  

   何気なく見たNHKで清志郎が歌っていた。

  ヘルマン・ヘッセにデミアンという小説があった。

 「君が生まれつきコウモリに造られているとしたら、ダチョウになろうなどと思ってはいけない。」

 分を守れということではなく、ひたすら自分への道を歩め!ということだ。

 

 「女子は42年ぶりに県大会を制した福井商が挑む。粘り強い平田と勝負強い斉藤由組、スピードとシュートが持ち味の斉藤亜・千秋組が中心。小形監督は初戦を突破して殻を破りたいと意気込む」。

 女房は、子供のことならスポーツ欄の小さな新聞記事も見逃さない。

 朝一番に新聞など広げられると、いったい何事が起きたのかと思う親父の気持ちなどおかまいなしで。

  しかし、スポーツ欄はともかく、情けないほどひどい記事だということがわかっていないから記名記事にしているのだろうけど、記者も記者ならデスクもデスク、救いようがないほどジャーナリストの質が低下していることを思い知らされる。

 「福井県の○○なんて・・・しょせん、・・・ばっかり」といわれないようにしたいものだ。

 

青春とは心の様相を言うのだ。・・・サムエル・ウェルマン

 

 

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      ■  2009年(平成21年)7月19日(日)

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   「昨日のテレビよかったで」と、中川平一政調会長から電話があって、ほっとした。

  「座・タイムリーふくい」というテレビ番組に、出演依頼があって、6月議会を振り返って、語って欲しいということであった。

  当然、副知事問題など、話題になるわけで、説明責任を果たす上でも出演せざるを得ないと思ったが、テレビに出演するというのは私は大の苦手で、きちんと伝わらないと、会派の仲間にも迷惑がかかると思って、正直、プレッシャーがあった。

 ぶっつけ本番で、金曜日に撮って、翌日、ノー編集で流すので、正直、どんなふうに映ったのか、反応が心配だったので、まずまずの評価に胸をなでおろした状況である。

 それにしても、テレビの顔はでかい。何よりも佐藤浩一とそっくりといわれた体形に戻りたい。

 今回の「否決」が、多くの県民に評価されているのは、「根回し」、「談合」の八百長試合をしなかったということかもしれない。そこに潔さがあったと。 

 

  

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      ■  2009年(平成21年)7月15日(水)

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 「本降りに なって出てゆく 雨宿り」

 

 「麻生降ろし、山本拓さんの行動をどう思われますか」、などというメディアからの質問が飛んでくる。

 「都議選惨敗を受けて、解散する」という首相の判断も正直、よくわからない。

  麻生首相で一致団結して選挙戦を戦うことがベストということなのか、自分の手で解散したいというレベルのものなのか、自民党を惨敗させて、政界再編を促す手法なのか?いずれにしろ厳しい逆風下で選挙戦を戦う国会議員にとっては、「どげんかせにゃいかん」と必死なのはよくわかる。 どうせ負けるなら、何でもありの人が出てきてもおかしくない。しかし、その宮崎県知事などを擁立する動きなどが正しかったのかどうか、政治を「ショー化」し、政治の本質とは違う「芸能番組」にしてしまうのはいかがなものか、選挙は一致団結が不可欠だ。

 それにしても、選挙の顔として選出された人気の麻生首相が決断した解散の時期は、「本降りに なって出てゆく 雨宿り」のようで、最悪のシナリオといわざるをえない。個人的には、これ以上ドタバタしてほしくないのだが・・・。

 

 副知事の人事案件を否決した要点(言葉に衣を着せるとわかりづらいので、ちょっとあらっぽい)を10日に書きましたが、最初の、知事の議会解散に触れた部分について、誤解があるといけない (既にある。あっておかしくない)ので、書き加えますと、正確には、地方自治法における首長の議会解散権は、災害復旧などの特別な議案を除き、議案否決によって生じるものはなく、議会が首長に「不信任決議」をしなければ、議会解散権を行使することはできません。

 しかし、私たちが総会で議論したのは、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」といったレベルではなく、そうしたところまで言及があってなお決意したというものであることを伝えたかったわけであり、逆に言えば、提案者もそうした決意をもって提案すべきであること、そうした決意があれば、芸能人の電撃結婚のような報道 提案にはならないということです。

 

 昨日、議会終了後、はじめて執行部会を開催し、その後の県民反応なども含め、協議しましたが、「否決」した議会の行動について、県民、県職員など最近の閉塞感を突破したものと評価する声が圧倒的に多く、議会本来の機能、存在感 が感じられたようです。

 「否決した理由を会派のホームページにも公開してほしい」という声があるというので、会派の総会資料として提出した執行部統一見解を公開させていただきました。

 また、否決した翌日の福井新聞記事には疑問があるという声が相次ぎ、今後、福井新聞社と協議することにしました。問題記事は以下のとおり。

 

 県政会が副知事人事案件を否決した理由

    

副知事2人制の提案について

新幹線をはじめ様々な現状の課題解決に、副知事2人制を求めてきているが、その必要不可欠性、課題解決のための処方箋としての妥当性、提案の仕方、議会に対する提案姿勢など問題がある。

@なぜ、今、二人副知事なのか。今、人事案件は、人事異動、欠員補充に類するものではなく、副知事を1名増員するという人件費増額を伴う特別職体制の見直しであること。副知事2人制は、 かつて民間副知事を迎えたが、二人副知事の複雑な関係も惹起し、不要とした経緯があること。諸課題解決のための副知事2人制ということであるが、全国の状況を見ても、人口100万人未満で副知事2人制を採用しているところはなく、逆に人口100万人以上でも副知事一人体制で執行している県が9県もある(1名体制は、16県)。これらから見ても、課題解決のための手法が副知事2人制しかないとは考えられない。二月定例会で観光営業部が設置されたが、こうした部局の設置、あるいは中央準拠の縦割り部局制廃止などと合わせ課題解決のためには、組織機構、推進体制、人的資源など総合的に考え、対策を講じるべきである。

A100年に1度の経済危機に見舞われ、組織のスリム化、リストラ・人件費削減など多くの企業、自治体が徹底している中で、民間で言えば、役員を一人増加するということは、採算性と納得性が必要である。県職員削減(人件費削減)を断行している中で、県民の理解を得られない。県民感情からしてもKY(空気読めない)といわざるをえない。

B旧自治省出身の知事は「天下り」とも揶揄されるが、それが福井県では2代続いている。総務省人事が多く、新幹線問題など、それが現状の課題解決や将来性において、必須のものとは思えない。福井県の主体性なのか、総務省の人事なのか疑義がある。

C現状の課題解決のためには、一人副知事の他県に見られるように、必ずしも二人副知事でなければ、解決できない、あるいは二人制なら解決できるというものではなく、組織機構、人事政策など総合的に検討されるべきである。

D二月定例会には、予算編成後に「観光営業部」が提案され、部の中身(仕事内容、人員配置など)は、「歩きながら考える」という提案がなされ、これについて、県議会は議会軽視として全会一致で付帯条件をつけたが、 何も改心されていない。こうした課題解決のための組織機構改革とセットで人的体制も提案されるべきだ。

E一方的に議会幹部に電話で事前通告する姿勢は、「相談」ではなく、「提案すれば必ず通る」、「議会は否決できない」という高圧的な議会に対する姿勢であり、マスコミ報道などを通じた世論形成を優先し、議会とのコンセンサスをはかろうという意思が希薄で、二元代表制、議会人として看過できない。

F近年、議会が首長の提案する人事案件について、無条件で盲目的に同意しておいて、そうした人が構成する委員会組織などが十分に機能していないことに対する批判がある。

今案件は、単なる人事異動、欠員補充としての人事案件ではなく、副知事一人追加案件を含む人件費増、人事政策上の案件であることを踏まえると、手続き上も含め、極めて安易な提案といわざるをえない。

G 知事と議会との人間関係といった領域で、安易な妥協や判断をすれば、今日の政治、経済状況に鑑みれば、福井県議会、議会人として命取りになる危険性がある。

 

   7月9日福井新聞の報道に対する疑問。
 

★7月9日、「副知事人事案件否決に対する福井新聞の問題記事」に対する見解
  

 【以下、福井新聞の問題記事を引用】
 「また、『会派幹部は正論を振りかざしているが、執行部内で主導権を握ろうとする駆け引きに使われた面も多分にある』と明かす中堅議員もいる。同会派は昨秋に県会自由民主党と新政会が合流したばかり。人事案件で派内をまとめられるか、旧2会派の間で揺さぶりを掛け合い、ゆくゆくは議長人事で有利に運ぼうとの思惑も見え隠れする。」
 

 この問題記事は、「真相スコープ」と題して掲載されたが、その題名と掛け離れて、全く「真相」から外れた事実無根の記事であり、県民に県議会への誤解と不信感を与える大変悪質な記事として、報道の中立、公正に著しく反するものとして指摘せざるを得ない。
 記事にある「執行部内の主導権争い」とか、「議長問題」などは今回の議論において全く存在するはずもなく、このような穿ったゴシップ記事が出てくる 背景に何があるのか。県民目線で報道することは必要だが、あまりに低い視点で悪意さえも感じるような品格の無い見方をして、それを記事にすることは社会に対して非常に悪影響を及ぼすことになる。
 県民は、真摯な努力を茶化したような興味本位の報道を求めているのではなく、事実をそのまま正確に伝える真の「真相」報道を待っていると確信する。
 今後、このような事実に反する低俗な記事が二度と掲載されないよう、事実関係の確認と記者指導を徹底するよう強く求めるものである。
 

 

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      ■  2009年(平成21年)7月10日(金)

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 知事は、本気で福井県民の幸福のために2人副知事が必要で、2人副知事なら現状の諸課題を快刀乱麻を断つごとく解決できるというならば、その議案を否決した福井県議会を堂々と解散し、どちらが正しいのか県民に民意を問うべきだ!

 

「男は黙ってサッポロビール」と言いたいところだが、史上初の副知事人事案件を否決した会派の幹事長という立場から言えば、説明責任はあるし、最近のHPのカウンターが多く回っていることからするとその期待が多いようだし、本質をまったく理解していないあまりにひどいゴシップのような新聞記事、そのまんま東知事ふうの茶化した軽口の議員のブログなどを見ると、「議会解散」も決意して本気で行動した私たちの思いがまったく理解されていないことが残念で、何が問題の本質なのかということだけ、きちんと伝えたいと思い、一筆啓上、申し上げます。

 

 知事が勝手に総務省と決めてきて、認めないと総務省との関係が悪くなる、と議会に同意を強制するのは暴力だ!それは、議会制民主主義、二元代表制を否定するものだ!

 今回の副知事の人事議案は、1人から2人に増員すること、それを総務省から連れてくること(人選)ということで、トップマネージメント体制の増員とその人選を知事が総務省と相談・協議して一方的に決めたことが新聞報道され、それを県議会議員が初めて知るところとなりました。

 なぜ、人件費増を伴う副知事2人制なのか。議会の理解が得られなかったら断念する、理解が得られれば、人選をどうしたよいか、候補者を協議する・・議会(県民)に相談するというのは、こういうことをいいます。総務省と相談して副知事2人を勝手に決め、人選も総務省から選んで、総務省の人事異動を決めて、その結果を議会に事後承認しろ、というのが、今回の人事案件です。

 人口100万人以下で副知事二人制を採用している都道府県は0、人口100万人以上でも副知事一人でやっているところは9県もある。なぜ、総務省なのか?都道府県知事のポストは総務省の天下りポストといわれるが、福井県は栗田、西川知事と旧自治省から副知事で派遣され、そのまま知事に就任している。福井県人事は総務省人事なのか、相談相手、方針案は総務省。決まったことを黙って認めろと強要されるのが福井県議会。

 このような議案をみとめれば、議会人がみずからにツバするようなもので、そのような追認機関なら税金のムダ、議会不要となる。

 したがって、私たちは粛々と議案を否決したのです。

  最大会派が全員そろって「反対」の意思一致をしたので、「会派拘束」などといわれますが、会派で決まったことは、どんな場合でも、たとえ4~5人の会派でも意見は違っても同一行動するのが普通です。「幹事長しっかりしろ」と当初からいわれて、どこまで本気か、まとめるのは大変だろうといわれてきましたが、執行部提案には圧倒的多数で了解をしていただいてまとまったので、正直、ほっとしました。それくらいみんなが「議会の危機」を感じたのでしょう。 

  

 それにしても新聞記事はひどい。「根回し不足」とか「説明不足」とか「議会が紛糾した」とか、「会派内の権力闘争」だとか、いったい何を目的に何のために新聞記事を書いているのか、もっとまじめに、何が本質なのか、新聞記者自身がもっと考え、取材・検証すべきであるし、地方自治というものを勉強し、地域の自治意識のレベルアップにつな がるように中身を豊富化するよう努力すべきだ。ゴシップ記事が書きたいのなら、その専門誌へと転向すべきだ。

 マスコミ・テロという言葉や、「スピン」(話題をそらす)、権力偏重など、最近、メディア・情報操作、がよく伝えられるが、メディアの質の低下は、たまらない。少なくとも議会に関する報道については、議会も調査委員会を設置して、しっかりチェックする必要性があるのかもしれない。

 

  二月定例会「観光営業部設置の付帯条件」は、なんだったのか?役所の都合、役所の利益だけを優先する懲りない面々が、これを機に真摯に反省し、態度を改めるなどということを多少期待するというのも、過分な期待なのか・・・。

 

 

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      ■  2009年(平成21年)7月5日(日)

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 五千冊売って涼しき書斎かな

 

  俳句は切れが大事。人生も。

 「40を過ぎて、あまりに本が多いのは浅ましい」というのは長谷川櫂。

 

  政務調査費の規定を厳しくして、領収書を公開したことを決断した議会は評価されず、今まではずさんだの言われ、あら捜しされる。

  「1年に80冊も本を買っているのですが、必要なのですか」などと愚問がとんでくる。

  本こそ政務調査費の主軸といってよいもので、失礼ながら、小説や雑誌その他趣味などと思われるような本を加えれば、その倍の数ほど本を買っている。

  何だかなあ・・・、たまらないことが多すぎる。