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■ 2009年(平成21年)6月27日(土)
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あれよという間に夏至が過ぎていた。夏至の夜は、キャンドルナイトでスローな夜を!と市の行事があったような気がしたがどうだったか、半化粧(半夏生)は、夏至から数えて11日目(7月2日ごろ)に咲く。
「桜桃忌」(6/19)も過ぎた。今年は太宰治の生誕100年。誕生日と命日が同じ日。
紫陽花は雨に洗われながら色裾せ、燕は盛りをすぎた紫陽花の色を見て、南の国に帰る日が近づいていることを知るという。
ツバメが帰るのはいつごろか?9月半ば、遅いので10月初旬だと観察されている。
では、いつ来るのか?桜前線より早く2月末には鹿児島に、4月末には北海道にということで、中国南部、フィリピン・ニューギニアなど冬場を過ごし、春になって、ヒナを育てるためにやってくるようだ。
マイクロジャクソンが急死、50歳。
命に終わりがあるが、50年も生きてきて、つばめは何時来ていつ帰るのか、そんなことにも無関心であったことに驚くばかり。
梅雨時は、雨見時【あまみどき】ともいうようだ。かつては雨にそそられる恋物語を「ながめの文学」といい、平安の時代から「長雨」と「眺め」を掛詞に、多くの歌が詠まれてきたという。
梅雨の日にしみじみと雨を眺めたり、田や畑の畦道にしゃがみこんで、雨をじっと観察することを忘れて何十年。
「雨は土をうるおしてゆく/雨というもののそばにしゃがんで/雨のすることを見ていたい」(八木重吉)
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■ 2009年(平成21年)6月20日(土)
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天上大風
良寛は子供にせがまれ、凧に貼る紙に書いたようだ。それが、なぜ、残っているのか、といえば、良寛の書が欲しかった大人が子供を利用したのではないか、ということである。
本日は風強く、凧を揚げるには、絶好日。「天上大風」。
本にも水脈があって、読み出したらとまらないときもある。気がつけば、娘たちの写真を貼ったっきり、日記もほったらかしだった。
国家と資本と国民が切り離されている時代に、政策だけ、昔の「ケインズ」をやっても、どれだけの効果があるのだろうか?後の増税、長期金利の上昇不安、年金をはじめとした社会保障不安をどう取り除くか、100年に一度の本質が何か、次のステージに向かわないと意味がない。
それにしても、金融資本がメディア支配、メディア操作をはじめ権力操作をはじめると、昔のナチスドイツやアメリカさながらになる。そういえば、その時代のもので、GHQの占領政策に「愚民政策」があった。スポーツ・セックス・スクリーン(テレビ)、考えさせない政策。
何とかならないものか、と天上大風に思う。
ところで、娘たちは、昨日から北信越大会。父母の会会長の女房も朝一で応援に出発。(私もPTA会長なのだが・・・)
スポーツにどれだけの価値があるのか、「スポーツバカになるな!」と言いつつ、娘たちの高校三年最後の夏、父は迷ったが県大会に応援に行った。
迷った理由は、いつも行かない親父が行って、娘たちが動揺して負けるのではないか、試合のビデオを見たことがあって、それが、中学時代よりあまりレベルアップしていない感じだったので、安心してみていられない、昨秋の新人戦で優勝しており、妹が主将なのだが、個人戦でも第一シードということもあり、選手宣誓などの負担、勝たねばならないプレッシャーがあって、実力を発揮できないのではないかと、心配したからである。
3日間(個人戦2日、団体戦1日)の試合。とりあえず、初日の試合は、心配するような展開にはならないと度胸を出して行ってみた。行ってみると、他の親との関係もあって、補欠の選手や負けた選手の子の親も応援に来ていて、2人の娘が団体戦メンバーで3チームのうちの2チームを構成しているとならば、親も二人いて当たり前だし、高校生活最後の試合にも来ない父親は親でないといわれそうな、家族の絆が問われるような気がしてきて、微妙な試合で、勝利の女神を引き込むには、親と子、選手と応援団が一体となることだと思って、3日間、応援に行った。
インターハイに行けるかどうかの試合。個人戦はベスト4、団体戦は優勝が条件。
個人戦は順調に勝ち進めば、姉チーム、妹チームの準決勝対決なる。決勝まで当たらないで欲しいと思いつつ、そこまで行けば、インターハイにいけるし、上出来だと思っていた。
が、案の定、二日目、3回戦で早くも妹は、フルセットのジュースにもつれ込む試合展開。心臓がいくつあっても足りないゲームとなって、かわいそうに新人戦チャンピオンが早くも姿を消すのか、と思ったが、何とか振り切って勝ち進んだ。それだけで、どっと疲れが出た。姉も負けず劣らず、次々とフルセットに持ち込まれるドキドキハラハラの試合続き。
しかし、前衛の妹のスマッシュも小気味よいし、後衛の姉のサーブやストロークは目を見張るものがあって、もつれにもつれる試合に勝ち抜く精神力と実力が備わっていて、練習と訓練のたまものだろうがうれしかった。
個人戦、準決勝、姉対妹の試合は、親からすれば、ここまで来たことでほっとしたし、どちらが勝ってもいいわ、次の決勝に備えて体力を温存しろと思っていたのだが、そういうことをおかまいなしに、フルセットからジュースを何回繰り返したのか、、会場全体が見守る中で、遠慮会釈なしに、死闘を展開した。
先生が涙を浮かべて、「こんないい試合を見たことがない」といっていたが、親父も、もう決勝なんかどうでもいいわ、あなたがたの人生で、最高にテニスを楽しんでいて、今の試合が決勝だというのなら、それでいいではないかと思った。
そんな盛り上がった準決勝のあとの決勝は、何も盛りあがらず、さっさと負けた。
団体戦も厳しかった。姉チームは楽に勝つのかと思っていたら、フルセットに持ち込まれ、7ポイント先取が勝ちの所、0-5となって、もうダメだとあきらめたが、なんとそこから、逆転して勝った。
その勢いで、決勝も、と思ったのだが、リズムに合わず、あっさりと一番手の姉チーム(相手は2年生)が負けてしまった。3番手勝負になっら、当日のにわか編成チームなので、勝ち目はないと聞かされていたので、この時点で、がっくりきた。2番手の妹チーム(3年生同士)は、スムーズに勝つのかと思えば、これがフルセットのジュースで辛うじて勝つ試合展開だった。
考えて見れば、朝、5時から起きて、武生まで行って、3日間試合すとなれば、精神的、肉体的に、常にベストの合わせるのは困難だし、地元の武生高校とは差があるのかと思ったりした。それでも、ねばって3番手につないだのは、大きな成長なのだろう。
3番手の試合は、目を覆うような試合展開で、ラリーさえ続けられず、1-3となって、あと1ゲームで試合終了という状況だった。が、そこから、奇跡が起きたというか、開き直ったというか、相手が勝利を意識し始めて緊張してきたのか、ファイナルにまで持ち込んで、ジュースを繰り返した最後に勝利の女神が微笑んでくれた。
42年ぶりの福井商業女子テニス部県大会優勝の瞬間だった。
負けていて逆転するシナリオは、映画やドラマの感動シーンでよくあるが、よくまあ、これだけ劇的なラストシーンが描けるものだと涙ながらに思った。
その当事者の選手は、最後に相手にチャンスボールをあげてしまって、ダメだと思った瞬間、光に満ちた神が降誕して、気づいたら、相手のコートにボールが転がっていたというのである。
願わなければ、叶わない。
「お父さんと握手して行け」、ファイナルセット、イーブンでチェンジコート、先生が姉娘に言うと、バックネットの私に握手を求めてきた。素直というか、心細さか、げんかつぎなのかわからないが、親父はテニスのことなどちっともわからないが、「何をあせっているのか、勝負を焦るな。きちんと構えて、腰を入れて打っていけば、誰もお前のタマはとれない。自信を持って行け!」と言って送り出して、勝ってしまうと、親父も多少、勝利の女神を招くために、協力できたような気になってくる。
さて、北信越はどんな戦いになるのだろうか?妹は北海道で開催のハイスクールジャパンカップに県代表で出場するようだが、いずれも議会中。インターハイ奈良大会は8月なので、これは、応援に行こうと思う。
ほったらかしにしていた、親ばかテニス観戦記を書き終えて、やっとほっと一息。
本日は、あわら市議会選挙の最終行動日で、宣伝カーのボリュームもひときわ大きい。
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■ 2009年(平成21年)6月10日(水)
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祝優勝!42年ぶりの団体優勝。個人戦2位(妹)、3位(姉)、優勝旗をはさんで。
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■ 2009年(平成21年)6月4日(木)
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中国から帰ってきて、一休み。
緑の多い浙江省でも、ほこりっぽいのが、残念だが、一雨降るときれいなものだ。
斉藤緑雨という歌人もいたが、「緑雨」というのはいい。
さあて、脂肪を落とす漢方薬で、ダイエットできるか、乞うご期待!