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■ 2009年(平成21年)2月20日(金)
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浮き世の定めのどれを幸、どれを不幸と誰が一口に言い切れよう。
議会を前に執行部で議論していると案外と面白い意見も出て、案外とそうした議論が不足しているのかも知れないと思った。
ところで、あたしゃ新聞は仕上げねばならず、代表質問はつくらねばならず、村に葬式ができて、区長の仕事は出るは、大変なことになっている。
ケツに火がつく、というのはこのことである。
明日はそば会もあるというのだし・・・、とにかくやるしかない。
何が幸せなのか、「人間万事塞翁が馬」というが。
家族で沖縄で行きたいな、と思った。
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■ 2009年(平成21年)2月16日(月)
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人生の究極に得られるものは老いと死のみ。にもかかわらず、官吏たちもまた、血眼となって名利を追っている。
《身に虱(しらみ)あり。家に鼠あり。国に賊あり。小人に財あり。君子に仁義あり。僧に法あり》とみえる。
物に取りついて物そのものを駄目にしてしまう害毒を数えあげているのだが、これなど胸のすく警句というべきか。
小人は財をもつほど欲望に走るから、世の中の秩序を乱す。君子は仁義を理想とするあまり、反って人間らしい恩情から遠ざかってしまう。僧は仏の教えを説きはすれ、菩提心の実践がみられない。法が僧をむしばんでいる。
《日暮れ、道遠し。諸縁を放下すべき時なり。信をも守らじ。礼義をも思はじ。この心を得ざらん人は、物狂ひとも言へ。誹るとも苦しまじ、誉むとも聞き入れじ》
とにもかくにも、諸縁を放棄せよ。
心にかかる一切の執着を捨てなさい。
無常迅速。夢まぼろしの如き一生に願望などもてば、余生はとくに心を迷わせ乱すのみにおわってしまう。ただ、仏道に精進して仏の慈悲をたのみ、四季折々を無用な行為を慎んで過ごしたい。そのとき、大自然のもつ実相におのずから触れることができて、「もののあはれ」をしみじみ味わう充足もまた得られるのである。
心が変われば、見えるものも変わってゆく。名利を離れ所縁を放棄すれば、短く速い時の流れまでが、永く楽しく感じられてくる。(所縁放下を学ぶ/松本章男)
酒を飲むことだけは、毎日忘れないような日々を送っていると、どこかの大臣みたいに大事な会議で呂律がまわらなくなって、ニュースで笑いものにされてしまうから、水泳と週2日の禁酒を意識しなければと思う。
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■ 2009年(平成21年)2月15日(日)
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昨日の池上村の左義長まつりは、土曜日ということもあり、場所を神社に移動し、正午に開催し、吉田兄弟の音楽を始め、火祭りらしく一工夫したら、天気も味方してくれて、左義長から左義長まつりへと変身できた。
村の区長としては、青年との交流を深め、子ども達の火遊びの喜びを得て、あらたな地平を切りひらいた一歩となったことを確信した。
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■ 2009年(平成21年)2月12日(木)
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洗へば大根いよいよ白し(山頭火)
今に政治家というのはアホばかりと言われるようになって、誰からも信頼されず、政治家と呼ばれることがとてつもなく恥ずかしいようになるのではないか。
自分の人生を大事にしよう。
人生の充実と喜びと幸福とそれを掴み取る叡智を学ぶには字を楽天という白居易。
自分の境遇を天の与えたものとして受け入れ、くよくよしないで人生を楽観することが大事。
冬 夜
虫の声の物思わせる冬の哀れは秋をはるかに越えるもの。
愁えを知らなかった人も聞いて愁えを知るだろう。
わたしは年寄りだから畏(おそ)れず耳傾(かたむ)けるが、
年若い者はうっかり聞き入ってはいけない。
ーすじ一すじそれは白髪(しらが)を君の頭に植えつけてゆくから。
すべて物の生まれ起るみなもとは死滅にある。
無は気紛れで、いつまでも同一の無であることができない。
歓びはしまいには愁えに成り果てるが、
苦しみだって移行し移行して跡形もなくなる。
老いが進めば眼の裏にもやもやと百花生じ、
現(うつ)し世のひかりは風に遭った燭火(ともしび)のように忽ち消える。
すべて過ぎ去った物のゆくえを尋ねるは詮ないこと、
鳥のとびゆくみちが空にのこると君は思うか。
偶 感
火打ち石の火花がひらめくさ中こそ我等が生の場だ。
富める者は富にしたがい貧しきは貧しいままに歓楽せよ。
口を開け腹からの笑いがこみ上げて来ないなら死んだ方がましだ。
悟 道
かたち有る物のむなしさを知らせて仏のみちを踏ませようと
この花咲く樹は精舎の庭に植えられたのだ。
つくづく眺めて思うこころを華厳の経文はすでに歌っている、
〜法のたづきの風にひらくや智慧の花。
夜遅く帰っては月の明らかなのを果しむ。
惰(なま)けたいだけなまけ、飽くまで眠り、
健やかで耳さとく、そぞろ歩きは厭わない。
為(す)まじき宮仕えから足を洗って、
仏弟子のわざをまねぶ身とはなった。
独りひそかに一句の偽(げ)を唱える、
〜思ひ空しければ生(いのち)を超えむ〜と。
玉泉寺にて
轎(かご)に運ばれて半日がかりで着く。
同行者なぞ一人もいないが、
例外は酒で、このものとはいい道連れだ。
若葉は無数の光りの塊りとなって映え、
どこからともなく老鶯(おいうぐいす)が時たま鳴く。
午後をのどかに山で遊びくらしてまだ足りない。
春も今宵で終るというのに心はいつまでも浮き浮きしている。
早死、その若い体のともしびは風に燃えあがってふと消えた。
年寄れば、鏡にうつった髪さえが白糸のようで気味あるし。
浮き世の定めのどれを幸、どれを不幸と誰が一口に言い切れよう。
若くて死ぬることは固(もと)より痛ましいが、老いも又悲しい。
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■ 2009年(平成21年)2月9日(月)
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春は名のみの風の寒さや。
谷の鶯(うぐいす) 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず。
時にあらずと 声も立てず。
立春が過ぎてから、よいお天気が続いているが、風は冷たい。
浮世に吹く冷たい風は、春になっても夏になっても終わりそうにない。
「自己責任」を叫んだ人たちは無責任で、市場原理を叫んでいた人たちは公的資金を受ける。
考えてみればつまらない世の中である。
三四郎に「亡びるね」といった広田先生の気持ちがよく分かる。
最近は、半月に一回しかHPを更新していないと叱られるのだが・・・。
I have a dream.村の左義長まつりを成功させるのだ!
あとから来る人のために。