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      ■  2008年(平成20年)9月30日(火)

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秋の月 山べさやかにてらせるは
     おつるもみぢのかずを見よとか    よみ人しらず

 

 いよいよ9月の晦日。

 明日は私の誕生日。よくまあ、これまで生きてこれたもんだ。

 南無阿弥陀仏。

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      ■  2008年(平成20年)9月28日(日)

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 もう秋か。−それにしても、何故に、永遠の太陽を惜むのか、俺たちはきよらかな光の発見に心ざす身ではないのか、−季節の上に死滅する人々からは遠く離れて。(ランボオ「別れ」)

 

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      ■  2008年(平成20年)9月26日(金)

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総務省が26日発表した8月の全国消費者物価指数(CPI、2005年=100)は、価格変動の大きい生鮮食品を除く総合指数が102.4と前年同月比2.4%上昇し、11カ月連続のプラスとなった。ガソリンや食料品の価格が高止まりし、前月と同じ高い伸び率となった。 

中山成彬国土交通相の失言もひどい。

「貧困ビジネス」のサブプライムローンを考えると、国民に責任を負うべき政府の主要業務が「民営化」され、国民の最低保障もできない国とは何かを考えざるを得ない。小泉純一郎元首相が引退を表明し、代わりに息子が出馬するという。

引き際の美学・・などという人もいるが、ひどいもんだと私は思う。

 

 長き夜や 障子の外を ともし行く  正岡子規

 

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      ■  2008年(平成20年)9月23日(火)

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月見れば ちぢにものこそ 悲しけれ 我が身一つの 秋にはあらねど (大江千里)
つきみれば ちぢにものこそ かなしけれ わがみひとつの あきにはあらねど

訳:月を見ると、あれこれと限りなく物事が悲しく感じられる。私1人のために来た秋ではないけれど…。

百人一首にもある、大江千里のこの歌には、元歌があって、白楽天の作品集の中の「燕子楼」(えんしろう)の中のある部分だとされています。
   

    満窓(まんそう)の名月 満簾(まんれん)の霜

    被(ふとん)は冷ややかに灯(ともしび)は残(うす)れて臥床(ふしど)を払う

    燕子楼(えんしろう)中 霜月(そうげつ)の夜
    秋来(しゅうらい) 只だ一人の為に長し

 

 意は、白楽天の知り合いに芸妓を愛人に持つ人がいてとても仲良く暮らしていたんだけど、その知り合いが先に亡くなってしまったが、愛人は愛する人から与えられた燕子楼を離れずにその後何10年も愛する人を思い、住み続けた。。 
愛する人を失い、ひっそりと孤独に過ごす女性。。そこに秋の悲しげな月の光がさしこんでくる。。この人の為にこそ秋の夜長は果て知れず長い。

 千里の歌は来れに対し、我が身ひとつの秋にはあらねど。。私一人の為の秋ではないけれども、月を見るとなんとなく悲しい気分になるなぁ。。となったようです。。

  秋分の日、ツインズたちは3年生が抜けた後の1.2年生のソフトテニスの県大会があったようで、県体決勝戦が何と姉(ペア)と妹(ペア)の試合となり、ファイナルセットまでもつれ込んだ結果、妹組が優勝で、姉組が準優勝という、ワン・ツーフィニッシュだったようで、我が家はとても上機嫌、明るかった。

 しかし、大学などからスカウトが来ると、二人とも大学へ行きたいなどといわないかと、オヤジは早くも余計な心配をしている。

 

 「新自民党県政会の幹事長にご就任されお目出度うございます。一本化してほっとしています。これから益々忙しくなりますが、健康で頑張って下さい。とても嬉しいですよ。」かつての仲間から葉書が届いた。心配してくれていたようだ。

 

 

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      ■  2008年(平成20年)9月21日(日)

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それ天地は万物の逆旅にして、光陰は百代の過客なり

浮生は夢の如し、歓びを為すこと幾何ぞ。

 

 そもそも天地とは万物を迎え入れ送り出す旅館のようなもの、そして月日、時間はそこをおとずれては去っていく永遠の旅人である。

 夢のような人生、よろこび楽しむことがどれだけあるだろう。

 そうしたはかない人生なればこそ、この一夜をおおいに楽しもうではないか。

 

  「三国昭和歴史館」にトイレを求め、イベント会場がどこかを聞くために立ち寄って、昔のニュースのようなフイルムを眺めていたら、突然、私の死んだ父が製茶工場の経営ということで登場してきて、腰が引けるほどビックリした。私の記憶にある父より若いので、母親を連れてきて確認してもらった。

 「あら〜」という声を出して、間違いないと嬉しそうだった。

 写真ではなく、フイルムで20秒程度なのだが、動いていると随分違う。

 探していた昔の農民道場(畜産試験場)もしっかり映されていた。

 どこにあったのか、といえば、県の歴史博物館の所蔵のもので、「北陸テレビ」製作、伊藤白翠がナレーターとある。

 「縁」というものを感じる。

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      ■  2008年(平成20年)9月20日(土)

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  月天心  貧しき町を通りけり  蕪村

 本日、小学校の運動会。先日の会派合併協議に際して、部屋に入る様子などがテレビ放映されたようで、私が何回も映っていたという話が、翌日の米の検査時の話題となって、階段から降りてくる姿などやたら「メタボ腹」が目立っていたと笑われた。

 小学生に負けずに頑張ろうと、久々に泳ぎに行ったが、水の上でも腹が邪魔になった。

 

 とはいえ、酒なくて何の楽しみ。

 李白 一斗 詩百篇 (りはく いっと しひゃぺん)

 長安の市(さかり場)の上り 酒家に眠る (ちょうあんのしのほとり しゅかにねむる)

 天子 呼び来たれども 船に上らず (てんし よびきたれども ふねにのぼらず)

 自ら称す 臣は是れ酒中の仙  (みずからしょうす しんはこれしゅちゅうのせん)

 

  蛾眉山月(がびさんげつ)  半輪の秋・・・

  ・・・君を思えども見えず ・・・

                   (李白)

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      ■  2008年(平成20年)9月19日(金)

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幸福が遠すぎたら

寺山修司

 

偶然のない人生もあります……とドストエフスキーは言ったそうです。

でも、それは人生にこだわりすぎるからじゃありませんか?

 

さよならだけが

人生ならば

また来る春は何だろう

はるかなはるかな地の果てに

咲いてる野の百合何だろう

 

さよならだけが

人生ならば

めぐりあう日は何だろう

やさしいやさしい夕焼と

ふたりの愛は何だろう

 

さよならだけが

人生ならば

建てたわが家は何だろう

さみしいさみしい平原に

ともす灯りは何だろう

 

さよならだけが

人生ならば

人生なんか いりません

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      ■  2008年(平成20年)9月17日(水)

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 マイッタマイッタ マイケルジョンソン

 シマッタ シマッタ シマクラチエコ

 

  「お父さん、てんびん座の今日の運勢は最悪だからね」と起きたら女房に言われてイヤな予感はしたが、最悪。

 身も心もボロボロ。

 

  月に吠えよか 淋しさを

  どこへも捨て場の ない身には

  暗い灯かげを さまよいながら

  女が鳴らす 口笛は

  恋の終わりの 東京ブルース

 

 白玉の歯にしみとほる秋の夜の 酒は静かに飲むべかりけり

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      ■  2008年(平成20年)9月16日(火)

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月をわび身を佗びつたなきをわびてわぶとこたへんとすれど問ふ人もなし。(芭蕉)

 

 

秋刀魚の歌

 

あはれ

秋風よ

情(こころ)あらば伝へてよ

 − 男ありて

今日の夕餉(ゆうげ)に ひとり

さんまを食(くら)ひて

思ひにふける と。

さんま、さんま、

そが上に青き蜜柑(みかん)の酸(す)をしたたらせて

さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。

そのならひをあやしみなつかしみて女は

いくたびか背き蜜柑をもぎ来て夕餉(ゆふげ)にむかひけむ。

あはれ、人に捨てられんとする人妻と

妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、

愛うすき父を持ちし女の児は

小さき箸をあやつりなやみつつ

父ならぬ男にさんまの腸(はら)をくれむと言ふにあらずや。

 

あはれ

秋風よ

汝(なれ)こそは見つらめ

世のつねならぬかの団欒(まどゐ)を。

いかに

秋風よ

いとせめて

証(あかし)せよ かの一ときの団欒(まどい)ゆめに非ずと。

 

あはれ

秋風よ

情(こころ)あらば伝へてよ、

夫を失はざりし妻と

父を失はざりし幼児(をさなご)とに伝へてよ

―男ありて

今日の夕餉(ゆふげ)に ひとり

さんまを食(くら)ひて

涙をながす と。

 

さんま、さんま、

さんま苦いか塩っぱいか。

そが上に熱き涙をしたたらせて

さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。

あはれ

げにそは問はまほしくをかし。

 

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      ■  2008年(平成20年)9月15日(月)

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 空をあゆむ朗朗と月ひとり

 

 「日記というものほ、なぜか(愉しかりし年月)のことは書かず、(面白からざる歳月)(憂憤晴れやらぬ日々)(志を得ずして怏々失意の累日)について熱意こめて書くようである。」ではじまる田辺聖子の残花亭日暦を読んでいたら、またもや深夜となった。

 

 政治・経済に関係ない本を読まねば、秋という季節に申し訳ないよう気がして、廊下を歩いていたら本箱の本が落ちてきた。

 「大したことではないのだ。いずれにしろ。」

 どうせ棒に振るような人生さ。

 

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      ■  2008年(平成20年)9月14日(日)

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 月々に つき見る月は 多けれど 月見る月は この月の月

 

 

 月見れば ちぢにものこそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど
                           
 天の原 ふりさけみれば 春日なる みかさの山に いでし月かも
                           
 秋風に たなびく雲の 絶え間より もえいづる月の 影のさやけさ

 やすらはで 寝なましものを さ夜ふけて かたぶくまでの 月を見しかな

 めぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲隠れにし 夜半の月かな

 

  欧州視察を終えて、体調は未だ昼夜が逆転しているような気分である。9月定例会も17日からオープン。

  でも、 中秋の名月を忘れているようでは余裕がない。

  月を詠んだ百人一首を数えて見た。