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      ■  2007年(平成19年)10月28日(日)

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 坂井市文化祭、三国神社の継体天皇即位1500年奉祝事業、福井商業創立100周年事業、退職公務員健康の集い、ゲートボール大会、地区ふるさと祭など土、日の行事は盛りだくさん。

 

 一日 再び晨(あした)なり難し

 時に及んで当に勉励すべし

 歳月は人を待たず

 

 陶淵明の雑詩にあるが、秋が深まってくると、一定不変の身というものはなく、無常を感じる。

 この秋は何で年寄る雲に鳥

 

 月読みの光を待ちて帰りませ. 山路は栗のいがの多きに

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      ■  2007年(平成19年)10月24日(水)

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 小屋の掃除からはじめた。父親が死んで三十四年にもなるが、そのタンスがまだ残っており、中には戦時中の「奉公袋」まであって、「支那事変従軍記章」などが入っていた。
3日余りかかって、ダンプ5台分の我が家の歴史的なゴミを捨てたら、気が軽くなった。
しばらく手伝ってくれた友人が、変わりに梨畑に堆肥を撒くのを手伝えといわれて、久々に恐る恐るタイヤショベルを動かした。(5年ぶりの免許更新もあって、けん引をしなくても大型特殊車に乗らなくても免許があることを確認したばかりである)
 野には秋の風が吹いていた。

「書を捨てよ、町へ出よう」(寺山修司)ならぬ「書を捨てよ、野に出よう」。

 

 操作されているようなメディア情報から解放されてマトモに生きるとしみじみと喜びがある。

 目先の毀誉褒貶に頓着せず、牛のように歩め。

 

  坂川福井市長辞任の報を聞く。

 

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      ■  2007年(平成19年)10月15日(月)

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   去るものは去りまた充ちて秋の空
    

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      ■  2007年(平成19年)10月14日(日)

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  欲なければ一切足り

  求むるあれば万事窮す

 

  丸岡の古城まつりの開会式で、東角クンに、あの雲は「鰯雲」で、あれが「うろこ雲」と言えたのは、「雲」の本のおかげ。

 雲で、楽しくなれる。

 

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      ■  2007年(平成19年)10月6日(土)

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  人間ドック無事終了。

  何となく秋晴れのような気分であるが・・・。

 

  この秋は何で年寄る雲に鳥

   

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      ■  2007年(平成19年)10月2日(火)

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人の世にたのしみ多し然(しか)れども酒なしにしてなにのたのしみ(牧水)
生きてあることのうれしき新酒かな(吉井勇)

 

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      ■  2007年(平成19年)10月1日(月)

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   そばに来て ひと懐かしや 赤とんぼ

 則天去私

 そんな言葉を思い出す秋晴れの日。

 本日10月1日、イチローの背番号(51)のような年になりました。

 衣替え、郵政民営化の初日、駅前地下駐車場オープンの日、三国成田山開創42周年。

  

  わが心澄めるばかりに更けはてて月を忘れて向かふ夜の月

  「何も贈ることできませんので、この句をプレゼントです」とメッセージ。

 どうもです。
  

 「私も戦後生まれですので、戦争の体験はありません。しかし、今日の世界の状況を直視しますと、戦後発展を続けてきた60年を日本の「平和な時代」とするならば、これから日本が直面するのは戦時中にも匹敵する「苦難の時代」と呼ぶべきものではないかと思っています。
  私たちはあまりにも「平和」と「飽食」に慣れすぎて、厳しさを増す時代の変化に備える力を失ってしまいました。戦後60年は、日本人がひたすら物質欲を拡大し、拝金主義にまみれた「退化の時代」と言わざるを得ません。危惧すべきは「戦争体験の風化」ではなく、「拝金主義の蔓延」と言うべきでしょう。そのとがめは間違いなく、そして間もなくやってくると思っています。」