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      2011年(平成23年)12月31日(土)

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 大晦日定なき世の定かな(西鶴)

 

 今年も家族そろって、正信偈、阿弥陀経をあげることができて、大晦日。

 無常とともに生きる、朝露のごとく、夢幻のような一生なれば、その一時を喜び、楽しむ。

 「明日ありと思う心のあだ桜夜半に嵐の吹かぬものかは」

 

  母がいなくなって、真面目にお勤めしようと思うのだが、年一回ではなく、来年は襟を正して、規律正しく、行儀良く生きたいとぞ思う。

 

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      2011年(平成23年)12月26日(月)

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 よしあしは後の岸の人にとへ われは颶風にのりて遊べり(与謝野晶子)

 

 よしあしを後ろの岸の人に問わば、

 何もするな!分に応じて生きよ!

 朝露のごとき一期にこれ以上むさぼるな!といえり。

 

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      2011年(平成23年)12月11日(日)

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 朝早く女房に起こされたので、テレビをつけたら、映画「黄昏」が入っていた。

 ヘンリーフォンダとジェーンフォンダの親子が親子役で、奥さん役がキャンディスバーゲンだと信じ込んでいたら、キャサリンヘプバーンだったので、ネットで改めて確認した。

 老夫婦のいい感じがアカデミー賞ダブル受賞作品だったのだが、キャサリンヘプバーンの飛込み姿勢が美しかったのが印象に残る。

 ネットで「黄昏」を調べていたら、ちあきなおみの「黄昏のビギン」があって、聞いたら、クミコの「黄昏のビギン」も良くて、そのままクミコの「愛の賛歌」を聞いたら、エディット・ピアフの「愛の賛歌」になった。

 こんなふうにネットを追っていくとあっという間に時間は過ぎていく。

 老眼鏡がまたどこかに消えた。ショック。

 明日の議会はどうしようか?

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      2011年(平成23年)12月9日(金)

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 うらをみせ おもてをみせて 散るもみじ

 

 外は良寛。山祭りは荒れるというから、雪が降ってもおかしくないが、淡雪の中舞うもみじは良寛の世界のようだ。

 その時代、時代の価値観を今の世から評価して、決めつけたような歴史的検証をすることは躊躇すべきことだと思う。

 

 「老後とは、自分を一生費やして築きあげてきたと思っていた一切の社会的看板、すなわち肩書きが無意味になる境涯なのである。老後になってもそれにしがみつき、それをひけらかそうとしても、ただ老醜というだけのことだ。

 人間は本来、肩書きのない一個の生きものなのである。それぞれ肩書きがついて、それによって自分が何者かであるかに思いこむのは、人間が社会という仕組みに組みこまれざるをえないことからくる仮象であり、錯覚なのだ。老後とはその錯覚からさめるときである。

 老いて一生の何を思い出すというのか」

 

 

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      2011年(平成23年)12月1日(木)

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  26回目の結婚記念日です。

 気をもんでいた庭のもみじも初めて紅葉らしくなって祝ってくれているようです。

 わざわざ写真に撮って送ってくれた人がいたので掲載します。

 GDPの大きさを競い、滅びの文明をひた走るような社会はなかなか生きづらい。

 成長の限界を知り、パラダイムシフトしていく必要を痛切に感じるのですが、末法の時代は餓鬼・畜生の世界となるといいますから、無理なのかもしれません。

 GDH(ハッピネス)を国の指標とするブータン国があり、先日、福井県が日本一の幸福県という調査結果がでたようです。

 衆議院会館へ行ったとき、何人かの国会議員さんから齊藤さんとこが幸福日本一なんだねといわれ、その根拠が見つからなかったので、多分、北陸三県は仏教王国なので少欲知足だからでしょうと皮肉交じりに答えておいたのだが・・

 政治とか経済とかいうけど、目的が人間の幸福ならば、心を耕すのが一番の近道。

 役所の試験に合格するために勉強するようなものでなく、もっと学ぶものがあるように思える。

 EU発の世界恐慌もありうる話になってきたが。

 

 まあいいか。

 55歳。人生下り坂。

 夫婦仲良く、ゆったりとたっぷりと生きたいものだ。

 

 人間50年下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。

 一度生を得て、滅せぬ者のあるべきか

 

 昔の人は歳をとると威厳がついてきたものです。なぜかというと虚妄なものを求めず、自分が社会の片隅で平凡に生きることに誇りを持ち、生きるということを苦しみも含めてまともに引き受けてきたからです。

 つまり人生というものを見極めて、それに満足することを知っていた。だから晩年に威厳の光が身に添ってきた。