北陸三県議会議員東南アジア行政産業視察報告書               

T.日程   平成12年11月7日〜14日

 U.訪問国  タイ、マレーシア、シンガポール

 V.視察目的及び調査内容

      1.我が国の国際協力の実施状況を海外の現場で確認し、今後のさらなる国際協力への参画の可能性を探ること。

(調査内容)

 タイ・マレーシアの各JICA事務所を訪問し、以下の事項につき事情聴取、意見交換する。

 タイ・マレーシア両国のJICA事務所を訪問し、国内におけるJICA技術協力の現状全般につき聴取。特に以下の事項について現場の視察を実施

・タイタマサート大学を中核としたランジット地区サイエンスパークにおける開発援助について

・マレーシア現地プロジェクトの視察

  

   2.マレーシアにおける世界的な高度マルチメディア活用集積地区「マルチメディア・スーパーコリドー」の視察

(調査内容)

         ・マレーシア政府が進めるIT戦略拠点整備状況のブリーフィング

・MSCサイバージャヤ地区(産学官連携地区)の進捗状況

・MSCプトラジャヤ地区における首都圏移転整備の現状       

    3.シンガポールにおける「IT戦略」の視察及び代表的なNPO関係者との意見交換

          (調査内容)

        ・IDA(政府系の機関・通信開発公社)を訪問、シンガポールの世界を視野に入れたIT戦略の概要ブリーフィング及び意見交換

          ・シンガポールを代表するNPO(特定非営利団体)を訪問し、その活動状況についてブリーフィング及び意見交換

 

 W.事後研修

 

 1.東アジア通貨・経済危機勃発と資本主義のゆくえ

 世界銀行をして「東アジアの奇跡」といわしめ、驚異的な発展を遂げたにも拘わらず、1997年7月、タイのバーツ切り下げに始まる東アジア通貨・経済危機が勃発し、ロシアや中南米にまで伝染し、日本の長期景気低迷とあいまって、世界経済の先行き懸念が募った。

 なぜ、奇跡的な発展をし、通貨危機に見舞われたのか、その通貨危機を脱するための窮余の一策としてタイ、インドネシア、韓国は国際通貨基金(IMF)の支援条件を受け容れたのに対し、マレーシアのマハティール首相は、IMFからの融資を拒否し、19989月、短期資本の流出入に対する強硬な規制を発動して、自立更正を図ろうとしたのか。

 東アジアを舞台にして起きたことであるが、これらが21世紀の政治と経済を読み解く上で重要となっており、検証してみる。

 

(1)なぜ東アジアは経済発展できたのか

整理すると次のように言える。

 @東アジアの自由化・市場経済の進展に伴い、先進国の民間資金がおのずと誘い込まれた。低賃金労働を求めて製造業の生産拠点を移転するにふさわしい環境が、途上国政府による自由化・市場経済化により整えられた。

 A先進国から途上国への政府開発援助(ODA)が、主として産業基盤の整備に用立てられたこと。1991年に社会主義が崩壊するまでは、途上国の社会主義化を防ぐという戦略的な役割をODAは担ってきた。西側諸国にとって、極東戦略は対ソ戦略の要であった。

 とくに政治的に不安定なインドネシア、フィリピンなどに巨額のODAが、長年にわたり注ぎ込まれた。マルコス治世化のフイリピンのようにその一部が不正使用に供与されたが、道路、港湾、発電所など産業基盤の整備に用立てられ、その後の経済発展に役立った。

 B80年代半ば以降、先進諸国における金融の役割が増し、その反面、製造業の収益率が相対的に低下した。この時期、金融自由化がグローバルなレベルで進展し、高い利回りを求める巨額の金融資本が、国境を超えて頻繁に移動するようになった。

 とくに世界銀行が世界の成長センターとの折り紙をつけた東アジア諸国の通貨はドルにペッグされていたため、通貨価値の変動リスクはそれだけ小さかった。そのため、できるだけ小さなリスクでハイリターンを求める欧米のヘッジファンドのホットマネーが東アジア諸国の株式、社債、国債などへ向かった。

 

 (2)なぜ、通貨危機は起きたのか

   80年代半ば以降に急進した東アジア諸国の工業化は、世界的規模での工業製品の生産能力過剰(オーバー・キャパシティ)という深刻な事態を引き起こした。過去15年近くの間に、重要な伸びを大幅に上回るスピードで耐久消費財の生産能力が伸びたのである。その結果、東アジア経済はゼロサム的状況(一国からの工業製品の輸出が増えれば、他国からの同製品輸出の伸びがそれだけ抑え込まれる)に追い込まれた

この通貨危機の発端は、1994年の中国元切り下げと、95年7月以降の円安によって、中国と日本の輸出を増やし、その結果、タイ、マレーシア、インドネシア、韓国からの輸出が伸び悩み、経常収支と企業収益がともに悪化し、その挙げ句に通貨危機が起きたのである。

  タイ・バーツの危機は、ヘッジファンドがバーツを売り浴びせたのが原因といわれる。

  ヘッジファンドとは、特定の富裕層や機関投資家から集めた豊富な資金を、株式、債権為替市場でデリバティブ(金融派生商品)や空売りなどの手法で運用し、高収益をねらう投資家グループのことをいう。)

 その資産運用額は数千億ドルにものぼるといわれ、ヘッジファンドの投機的な投資は市場の攪乱要因以外の何物でもないというのが、マハティール首相の言い分である。20%~40%もの高利回りを生むヘッジファンドが、アジア、中南米、ロシアなどの高金利国の債権や株式を投機の好餌としていたことが、このたびの通貨危機の「伝染」により顕示された。

 これは、「市場の力」の暴力化がもたらす災禍が容赦なく及んだ顕著な例である。

 ヘッジファンドが国境を越えて、瞬時に巨額の短期資本を往来させることが、途上国の外貨準備を危うくし、途上国通貨のドル・ペッグの維持をむずかしくし、変動為替レートへの移行を余儀なくされる。その結果、通貨の破局的減価が引き起こされる。

 

(3)市場主義と効率性

 

 市場原理主義エコノミストは、経済を効率化し、不均衡を解消し、そして有効な資源配分をかなえるものとして、徹頭徹尾、「市場の力」に対して肯定的な評価を与えてきた。

 だが、しかし、いかなる「力」であれ、それが弱者をしいたげる働きをもつことは否めない。「市場の力」は効率化をかなえるとされるが、そのことの裏を返せば、「市場の力」は非効率な弱者を切り捨てることを意味する。のみならず、市場の力がシステムを破壊する「暴力」となりかねない。

 極度の貧富の格差、短期資本の頻繁な流出入による資本市場の攪乱、公的教育・医療の荒廃、資産価格の暴騰・暴落の結果としての金融危機などが挙げられる。自然環境・地球環境の破壊もまた、「市場の暴力」の一つに数えられる。

 弱者の淘汰という犠牲を伴うことを承知の上で、なぜ、私たちは効率性をひたすら追求しなければならないのか。

 効率性は一つの価値規範にすぎず、その他の価値規範とはしばしば齟齬をきたす関係にある。環境保全と効率化は明らかに二律背反の関係にある。社会的安定または公正という価値規範も効率性と齟齬がある。

 鎖国状態であれば、非効率性を温存していても何ら差し支えはない。しかし、国民経済が輸出入と資本移動に強く依存しておれば、モノとサービスの国際競争に勝つか負けるかが、その国の経済的正否の決め手となる。とくに発展途上の国々は、輸出主導型の経済発展を志向しがちであるし、貿易黒字の成果である外貨準備高が国富の決め手。

 当初は、低賃金を利して低生産コストゆえに有利な競争条件を確保できるが、そのうち途上国間の競争が激化し、資本が必要となって、外国資本を導入する。そのために、高い利回りが必要であり、一層、効率化が求められる。

 経済のグローバル化、(モノと金の国際的移動が頻繁かつ多量になること)こそが、効率至上主義を避けがたいものとして、要求する制度的背景である。

 

 東アジアの通貨危機の真因ともいう21世紀のケインズ問題は、結局、途上諸国が資本取引を自由化したことによる。つまり、国際的な資本移動を妨げる障壁を取り払ったからこそ、先進国からの直接・間接の投資が途上国経済を潤した半面、過剰な投資がオーバー・キャパシティ問題を引き起こしたのである。

 その面で、国際的な資本援助は諸刃の剣ともいえる。

 市場の力にも功罪がある。公正な所得配分とか、環境保全への配慮を促すというのは、市場に備わっていない。消費者の意識や行動の力が「市場の力」を制御する役割を果たす。

 

 高度情報化(情報伝達)、ポスト工業化(市場競争が一人勝ちに終わる公算が高く、企業間・個人間の所得格差が際限なく高まる)、金融経済の肥大化(不確実性を増大させる。努力や能力が応分に報われず、インサイダー情報による不公正や運次第の面が強くなるため倫理的退廃が招来されかねない)の三つは、市場の力を暴力に化する公算を高める。

 その結果、到来するものは、企業間、個人間の所得格差が途方も無く広がった社会、競争の結果が一人勝ちに終わる社会、そして倫理が朽ち果てる社会ともいえる。

 市場経済と民主主義は不即不離の関係にあるが、市場経済の高度化=カジノ化の進行はリスクの増大を梃子にして所得格差を途方もなく拡大し、優勝劣敗の原則があからさまに貫徹されるようになりにつれ、民主主義の基本理念が「市場の力」により踏みにじられる

 

(4)21世紀資本主義の課題

 20世紀をかたどってきた価値と制度の一つ一つが相対化され、21世紀は何らかの価値規範が絶対化されることはない、といわれている。

 金融が重きをなすポスト工業化社会は、まったくもって不確実な社会である。

多大なリスクにさらされる社会とは、たとえて言えば、「全員が金の鉱脈探し、油田の探査に明け暮れている社会、うまく掘り当てた者は大金持ちになり、失敗した者は貧困に甘んじざるを得ない社会」ということである。

 リスク過多社会の特色ー@成功者と失敗者の間に大きな所得格差が生まれる。A成功者と失敗者を分かつのは、能力や努力の差異以上に、運に恵まれるか否かである。経済のカジノ化に伴い、自由な民主主義社会の拠り所であるはずの倫理規範が次第に色あせ、市場経済が民主主義をむしばむという予期せぬ事態に直面することになりかねない。

 国際金融市場を統御する術と機関がなければ、グローバル資本主義を崩壊させる。

 ましてや地球環境問題は、待ったなしである。国際機関、途上国、先進国の三者の連携が重要なテーマとなる。

 EU15カ国中、右派政権が安泰なのはスペインとアイルランドの二国だけで、残りが中道左派というのは、行きすぎた市場原理、暴力化への反省とみることができる。

 

2.日本の国際協力

 

 (1)多面的な顔をもつ援助

 援助には、人道的動機に基づく、個人レベル、NPOレベルでの援助のほかに、企業、自治体、国レベルがあるが、これらは人道的考慮よりも経済的、政治的な考慮が入ってくる。このほか、援助は、国連などの国際機関によって行われる。

 ユニセフ(UNICEF)の児童救済活動、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の難民救済、国連災害救済調整官事務所(UNDRO)の地震などの天災発生時の救済活動がある。

 こうした国連機関をはじめ、各種国際機関によって行われる援助は、多国間援助と呼ばれ、人道的考慮がストレートに全面に出てくる。

 

 (2)ODAとは何か

二国間援助の内、国レベルで行われるのが、政府開発援助(ODA=Official Development  Assistance)である。

  政府が行う援助の内、援助条件が緩やかな(グラント・エレメントの高い)ものがODAと称され、国際的にはODAのみが、真の意味での「援助」として取り扱われる。

 ODA以外のものは、OOFOther Official Flows)と呼ばれる。日本の援助システムのもとでは、ODAJICAと海外経済協力基金(OECF)によって取り扱われ、OOFは日本輸出入銀行によって、担当されている。

 国連では、先進諸国にGNP0.7%をODAに振り向けることなどを勧告している。

 ODAは、技術協力と資金協力に大別される。

@技術協力

   JICA(国際協力事業団)が窓口になって実施される。研修員の受け入れ、専門家の派遣、機材の供与、(プロジェクト方式技術協力)、開発調査、青年海外協力隊の派遣などがある。

 A資金協力

無資金協力(一般会計=国民の税金)と有償資金協力(郵貯、年金などの財政投融資)がある。

 無償資金は、援助受け入れ国政府に現金を渡さず、その資金で、日本企業から物品、役務などを調達させるもので、タイド(ひも付き)援助と呼ばれる。近年は、アンタイド(ひもなし)援助の割合も増えつつあるようだ。

 有償資金はOECFと輸銀によって取り扱われ、商業ベースより、有利な条件で資金を貸し付ける。貸し付けは円で行われるから、「円借款」と呼ばれる。

 

 (3)援助の種類

 援助を大別すると人道的援助、経済的(打算的)援助、政治的(戦略的)援助の三つがある。もちろん相互に絡んでいる。

 援助は、人道的考慮をアピールすため、政府は、青年海外協力隊とか難民救済、食料援助などを宣伝するが、これらの援助は金額的には少ない。

 金額の点で圧倒的に多いのが、経済的援助で、日本のODAには、日本企業の利益を誘導する性格が強い。日本企業の海外進出を支援するために、出資金ないしは貸付金の形で、使われたり道路、橋梁、港湾、空港などのインフラストラクチャー整備目的に使われている。

 また、政治的援助についても、アメリカの軍事援助ほどでないにしろ、アメリカの安全保障面での責任分担、応分の負担といった名目で、使われている。

 

(4)誰のための援助か

 日本のODAについては、貧しい国々及び貧しい人々の援助に主眼があったのかどうか問題点が多く指摘されてきた。

 「世界に貢献する日本」の名のもとに、ODAの増額を正当化してきたが、その動機付けは、欧米諸国による貿易黒字の削減要求への対応であって、内需の拡大、防衛費の増大、貿易黒字の減少策の一環であった、とされる点である。

 開発援助の中には、ダム建設により、耕地面積の40%の農地が水没し、原住民10万人が強制移動させられ、軍部と先住民ゲリラとの武力衝突の恒常化を招いたもの、熱帯林を伐採し、開拓地を造成したが、農業には不向きで、広大な熱帯林を破壊した加害者となっているものなど先住民、環境など問題を惹起させているものも多い。

 JICAの調査には、もっぱら、エンジニアリングと経済的コストの観点から、地質調査などの現地調査と費用・便益分析が行われたのみで、環境への影響については、何らの検討も加えられなかった。

 

(5)わかりにくい援助の理念と機関

援助の基本理念と基準が明確でないと、独裁政権を支援するような案件、一部富裕層に恩恵をもたらすだけの案件、人権抑圧に手を貸すような案件、最貧層の人々とか先住民の人々とかを虐げるような案件、日本企業を潤すだけの案件、さらには環境破壊をもたらすような案件までもが、すべて、「援助」の名のもとに、十把ひとからげにして取り扱われてきた。

 外国においては、援助行政は、これを専門的に取り扱う単一の機関が窓口となって進められるが、日本には、「海外援助庁」というようなものがない。

  各省庁は競って権益を拡大してきたため、省庁再編に当たって、援助庁をつくれという議論はあったが、見送られた。各省はそれぞれの利権を手放したくないからという指摘もある。従って、日本国全体としてどういうふうに戦略を持ってODAをやるかという戦略本部がない。)

 無償の援助案件は外務省(その所轄する実働部隊JICA)が、有償資金協力、つまり円借款は、外務省、大蔵省、通産省、経済企画庁の4省庁協議体制で行われる。

 援助案件の決定プロセス、受注企業の選定プロセス、円借款と輸銀融資の対象となる案件の区別など不透明でわかりにくい。

 

 (6)情報公開による透明感のある援助政策

 ODAに関する情報ほど秘密のベールに包まれている分野はなかったが、日本のODAに対する国際的批判、とりわけ環境軽視といった側面や情報公開、説明責任といった社会全体の動きの中で、2000年度版「我が国の政府開発援助」(ODA白書)の中でも、ODA改革、実施体制の改善の取り組みとして、@ODAの透明性・効率性の向上、A円借款の見直し、BODA評価体制の改善に向けて、などが記述されている。 

 インターネットにおいても、「経済協力Q&A」などとODAの必要性から内容まで丁寧に掲示されている。

 国民に対する説明責任、説得を意識したものへとなってきたことが理解できるが、一元的な窓口など組織機構の整備、支援の基準づくりなど一層の透明感とチェックが必要である。

 

 (7)OECD(経済協力機構)のDAC(開発援助委員会)とこれからの海外援助

 昨年5月、DACが採択した「新開発戦略」では、途上国の開発における「主体性(自助努力)」と途上国と援助国との「パートナーシップ」の重要性が強調され、2015年までの目標として一日一ドル以下の収入しかないような絶対的貧困の下にある人(10億人)の割合を半分にすること、全ての国において初等教育を普及させること、乳幼児死亡率を三分の一に削減することなどに、どう取り組むべきか、基本的な考え方や目標を明らかにした。

 今年1月には、援助される国から先進国クラブであるOECD加盟国となって、援助する国となった新援助国(メキシコ、ブラジル、韓国、タイなど14カ国)と従来からの援助国が発展途上国に対する経済協力について協議している。

 1960年代から、世界は途上国と先進国との大きな経済格差を背景とした「南北問題」に取り組んできた結果、東アジア、中南米で急速な経済発展を遂げ、先進国レベルに達しつつある国も出てきて、開発が進んだ「南」の途上国が、より貧しい途上国を助ける「南南協力」を進めることとなった。

 シンガポール、タイなどの国は、日本の資金的、技術的協力を得ながら、近くのアジア諸国からの研修員に対する研修を行っているが、技術レベル、言葉、習慣などの面でより途上国の実情にあった研修ができている。

 今後、先進国と途上国、進んだ途上国と貧しい途上国、あるいは政府と民間といったいろいろな「パートナー」の間の協力が進展していくことが求められている。

 途上国の軍事支出といった問題もあるが、途上国における飢餓と貧困という人道上の問題に加え、世界全体の平和と繁栄のためにも途上国の安定が必要である。

 国内的に多くの問題を抱えているが、国際社会のおける日本の役割を考えれば、投資効果のある、透明感のある、という枕詞は必要だが、積極的でなければならないと判断する。

 

X.タイ、マレーシア、シンガポールを訪ねて

 

 1.タイ(バンコク)

  天使の都と呼ばれる首都バンコクであるが、推定人口1千万人といわれる東南アジア最大のこの町は、ごった煮の活気にあふれていて、隣のシンガポールやマレーシアの首都クアラルンプールのような小綺麗さには全く欠けているが、異様なエネルギーというか、生命力のようなものがあふれている。

 高級レストランと屋台、高級車と天秤棒を担いで歩く行商人、高層ビルとスラム街といった対称的なものがごちゃ混ぜになって、交通渋滞の中で存在している感じである。

  建築途中のまま放置されてしまったビルの残骸があちこちに見られたが、これがバーツ暴落による外国資本の撤退を露骨に証明しているものと思った。

  タイの一人あたりの平均年間所得は3000ドル(20数万円)というから、ぜいたくな生活を享受しているのは、タイでもほんの一握りの人々と外国人だけであろう。

 山田長政などが活躍した、アユタヤ(かつてのタイの首都)旧日本人町跡へ向かう道中に見られた川の上に生活するような農村風景、スラム街をみると貧しく、劣悪な住環境、麻薬やエイズの蔓延、失業など厳しい現状がある。

 ODAにより建設された日本のボランティアが経営するスアンプルー・スラムにある保育園の運営状況などを垣間見たが、人道的にもほっておけない生活環境である。

 タイ経済も最悪期を脱しというが、まだまだ不安定で、外国資本に頼るしかない状況と思われる。人口的な面からいってもアジアにおける経済圏としてタイは重要であり、にっぽんが発展する上においても、援助すべきことを感じた。

 それにしても、タイという国のバイタリティには恐れ入った。

 

2.マレーシア(クアラルンプール)

 マレーシアは、マハティール首相の市場閉鎖とも言うべき短期資本の規制が功を奏しているからか、経済危機を感じることはなく、完全な先進国となるビジョン2020に向けて、大規模インフラ整備など順調に進んでいると感じた。

 特に、情報化とマルチメディアテクノロジー分野でアジアのリーダーとなろうとするマルチメディア・スーパー・回廊(MSC)計画は、世界のトップクラスの企業に理想的なマルチメディア環境を創造し、世界のハブとなろうとする大胆な計画である。

 MSC内には、インテリジェント・シティとして、プトラジャヤ(国家政府機関を移転した新行政都市)とサイバージャヤ(マルチメディア基地)の二つの都市をオープンさせている。

 森の中の空港として、人と環境との共存をテーマに建設されたKLIA国際空港とプトラジャヤの開発は、最新のコミュニケーション技術とITインフラ整備によってなされているが、KLIAは地球的な情報、エンターテイメント、ショッピングセンターとして開発されている。

 MSC計画は大前研一、空港設計は黒川紀章ということだが、何かこれらをみると、援助する側の国として、少しやっかみを覚える。

 つまり、日本離れが際だつ今日、それに拍車をかけそうだし、国の役割分担があるとすれば、もっとマニュアルさえあれば、誰でもできるようなものを植え付ければいいのではないか、ということだ。

 もちろん、クアラルンプールは整備された都会ではあるから、それだけ見ていれば、援助など必要のない国とも思えたのだが、一歩離れた市場風景に足をのばすと、そうした面もある。

 しかし、印象としては、マハティール首相の強力なリーダーシップ(半ば独裁的な)によって、確実にインフラ整備がすすんでいると感じた。

 

3.シンガポール

 正直、私は、シンガポールはリー・クアンユー(元首相)の国という印象が強い。

 現実に、空港をおりて、ホテルに向かう車窓から見えるものは、リーが、回想録の中で自慢げに書いているように、緑をたっぷり味合うことのできる並木、広い道路、清潔な街である。「鞭打ちの刑」をやって、アメリカの批判にさらされても、イヤならシンガポールの来るな、我が国には、スプレーで自動車に落書きするようなものはいない。といった強いリーダーシップを感じた。

 もちろん、35歳で首相になって、31年間も努めた人だから、認めざるを得ない。

 一人の独裁者が立派だったからできた国と言う感じである。

 旅行社のガイドによれば、選挙では、かなり野党に入れているはずなのに、結果に出ていないので、政府よりに集約されている、とのことである。

 たしかに。訪問したNPOなども、国の在り方については、断固支持している雰囲気があって、そうした意味で、民主主義という面では、アジア独特の不十分なものと思われる。

 

 

Y.まとめ  〜視察考〜

 海外視察は、メンバーの構成によってかなり難しいものであるから、整理していくべきだと思う。

 視察目的のセッティングの仕方もあるが、団員の目的意識や英会話のレベル、行動意欲など様々であるからだ。

 参加者が自らが知りたいものを求めていくのであれば、さほど問題は生じないが、誰かが考えて作成した中身を視察するのであれば、事前に何を知っておく必要があるのか、事前研修を充分する必要がある。

 相手から「あなたたちは何が聞きたいのですか、知りたいのですか」といわれて、ここは何をしているのですか、と聞かねばならないような感じでは、相手にも失礼である。

 視察ですべてを知ることなどできないわけで、一カ所でたっぷりと時間をかけるとか、事前、事後研修を充実させ、それを検証しに行くとか、あるいは、団員個々の視察目的によって選択できるコースをつくるなど工夫が必要である。

 中学生の修学旅行ですら、自分たちで地下鉄に乗ったりバスに乗ったりするのだから、子供の遠足のようにダラダラと連なるのではなく、食事も決められた指定のレストランでなく、街角のカフェや屋台や乗り物の上で、そこに住む人たちと一緒の気分になるようなことも必要なことだ。

 安全第一を考えることは大事だが、いずれにしろ、何度も行けないのだから、投資効果のある視察へと、さらに工夫が必要と思えた。

 私、個人としては、すべて初めて訪問した国であり、非常に有り難かったし、勉強させていただいた。北陸三県のメンバーとも長いおつきあいができる関係となった。個人的には、午前3時までタクシーで見たいところ回ったこともあって、表と裏も垣間見ることができた。

 「先進国とは何か、ゴミを捨てない、盗まない国だ。」

 日本の地下鉄の無人販売を見て、リーは、先進国を見たと言うが、改めて、発展とは何か、幸福とは何か、市場原理、グローバル経済、マネー、そんなことを改めて考えさせてくれた視察であった。

 

 

                                                              以上

 

福井県議会訪中団に参加して

● 主な日程

 

10/8(月)関空発、全日空175便で香港着。

ジェトロ香港事務所、

福井県香港事務所訪問。

香港フェアレセプション出席。

   

      /9(火)繊維フェア視察、エプソン、シャルマン企業訪問    

/10(水)杭州空港へ。

水仙楼視察、省人民代表大会幹部会見

   /11(木)図書館、自然博物館、杭州第四中学校など視察

   /12(金)紹興市入り。

軽紡城視察、福井光明紡績公司視察

         豊島集園視察

紹興市人民代表大会幹部招宴

   /13(土)寧波市へ移動。

天一閣、北命港、経済開発区視察

   /14(日)上海へ 福井県上海事務所訪問、市内視察。

   /15(月)全日空156便で帰国、20:11福井着

恐るべき中国 

    得体の知れない中国

        乾杯だらけの友好

               されど中国      

 

昨年は、浙江省の人が福井に来て、今年は福井県議会が行ってという相互訪問による交流事業で、福井県議会訪中団員として、本年、生まれて初めて中国へ行って来ました。

 8日の出発日にアメリカがテロ報復攻撃を開始したと聞いて、飛行機は大丈夫か、今回もまた中止か(いつも中国へ行こうとすると何かがハプニングが起きて行けなかった)、などと思いつつスタートした訪中で、香港(ほんこん)〜浙江省(せっこうしょう)【杭州(こうしゅう)市〜紹興(しょうこう)市〜寧波(ねいは)市】〜上海(しゃんはい)市と見てきました。

 福井県と浙江省との日中友好というと、何か同レベルの規模に思うが、人口4,422万人、面積10.18万平方キロというから、桁違いであるが、大都市上海、長江デルタの隣地で、中国指折りの発展地域を実感しました。

「百聞は一見に如かず」。ものすごいスピードで発展しているとは思いましたが、まさかここまでとは、正直思っておりませんでした。

 一言で表現すれば、「恐るべき中国」ということです。

道路も港も桁違いで、最後に上海の立ち並ぶ高層ビル、インフラ整備を見せつけられて、打ちのめされた感じでした。

 特に上海は、10年連続で2ケタ経済成長率を達成しそうです。(今年はテロの影響で不明だが)、識者は、今後10年間も2ケタ成長すると言っているようです。つまり、この外見ニューヨークのような大都会が、10年後、さらに今の2倍の成長をとげるということなのだ。

 2008年北京オリンピック開催もあり、それまでに急ピッチで進むインフラ整備はとてつもない。土地も建物も所有権は国であり、それを賃貸させているのだから、何をするにしてもスピードが違う。勿論、スケールも違う。

 5、368所帯、400社が移転対象者となる上海市内の高速道路建設に伴う交渉はわずか3ヶ月だったということだ。また、上海市内から浦東国際空港まで、かなり距離があるので、リニアを走らせる計画があり、今年、工事着工して、2年後の2003年営業運転するようだ。その距離50数キロあるようだが、これをわずか8分で走る。まさに驚異的である。

 さて、人口は日本の10倍、面積は26倍、WTOに加盟し、2008年北京オリンピック開催で、世界の牛耳を独り占めしている中国。

今回、私ははじめて中国に行くにも拘わらず、事前学習をほとんどしないまま訪中したので、事後学習とでもいうのだろうか、何冊かの本や雑誌、新聞の特集記事を読んで多少の現状認識を得た。

まず、そのポイントを先に記し、それらを踏まえて、見聞したことと比較考察し、視察報告とします。

 

『世界の工場』『世紀の市場』として『沸騰する中国』

  

 

1.中国企業の大攻勢

「安かろう、悪かろう」と揶揄された中国製品は、日本製品を模倣する中で技術を学び、今では中国の生産技術は、すでに日本と同等かそれ以上と急速にキャッチアップしつつある。

 製品で、中国が世界シェア一位を占めているものに、粗鋼(15%)、エアコン(50%)、モーターバイク(43%)、テレビ(36%)、カメラ(58%)、時計(46%)、電話機(58%)、冷蔵庫(21%)があり、中国が世界の工場として急成長していることが伺える。

 生産大国→生産大国+消費大国→生産大国+消費大国+人材・R&D大国へと、時代を追って、中国の役割が変化するといわれている。

 

2.巨大市場

13億人の人口を背景にした、巨大な消費市場も無視できなくなっている。

7%台の経済成長を掲げる中国は、10年後に国民の所得を2倍にする計画で、巨大なマーケットをめぐり、国内外企業の挑戦がはじまっている。

2000年度一人あたりGDPは855ドル、しかし沿海部1000ドルを超え、地域によっては、2000〜3000ドルに達している。

 3大経済圏の人口とGDP(一人当たりのGDP)

華東地区(上海、江蘇省、浙江省)     1.32億人 1,567ドル

華北地区(北京市、天津市、河北省、遼寧省)1.30億人 1,145ドル

華南地区(広東省、広西省、海南省)    1.27億人 1,036ドル

中国全土                12.59億人   787ドル

 一人当たりのGDPが1000ドルを超えると有望なマーケットと考えられているようだから、既に三大経済圏では、その域に達しており、今後の市場として十分期待される。

しかし、人口13億人のうち8億人が貧しい農民。極貧層(年収7500円以下)が8千万人ともいわれ、どこまで市場があるのか疑問視する声もある。

 

 

3.日本の企業進出

 日本企業は、円高が進展した80年代と「南巡講話」を契機に改革路線が加速した90年代半ばの2度にわたって、中国進出ブームを進出しており、いずれも、生産コスト削減と安い労働力を当てにした進出だが、2000年以降の日本の対中投資の増加は、中国を「世界の工場」として、世界規模のサプライチェーン・マネジメントに組み込み、生産分業体制を構築するという、より高度な関わり方に変わった。

 

 

U.『厄介な隣人』としての中国

  

1.日中友好…

「普遍的にいえば、ごく平均的な中国人はいまなお日本を痛恨(憎悪)しているといえる」と江沢民国家主席が台湾の有力者と会談で語ったように、中国人の日本観となると、日本嫌いの傾向が顕著であるといわれている。

 それらは、中国の教科書では日本の戦争行為に関する記述が驚くほど比重を占めており、「日本の侵略性や残虐性」と合わせ、「いまなお、日本は過去の残虐行為に謝罪もせず、反省もせず、子どもたちにその歴史を教えず、しかも厚顔にも賠償を拒んでいる…」ということが陰に陽に組み込まれていく。

 日本側からの反論や疑義は許されず、はみだせば、集中砲火をあびる。

 「中国共産党の統治の正当性の支え」と「日本の残虐行為の糾弾」との因果関係は、中国共産党が統治の正当性を国民に確実に認識させつづけるためには、国民向けに抗日の偉業、とくに闘争相手の日本軍の残虐行為に脚光を浴びさせなければならない。過去の侵略者が今も反省していなければ、光は一層効果を発揮する。党の道義性までが高まる。

 北京イギリス人のマーク・オニール記者が「われわれは許さない。だがあなた方のカネは取る」という見出しの日中関係の分析記事がある。

 中国国民は日本国内で自国の戦争犯罪について、元兵士や学者などによる映画や本などが出されていることを知らされていない。日本の戦後の歴代首相や天皇は、自国の戦時の行動に対し謝罪を表明したが、中国側指導者はあえてそれを認めず、日本側がなお不誠実だと非難する。

 中国側がこうした日本糾弾をつづける理由の一つには、こうした反日政策が大成功であることだ。日本を間断なく攻撃しても、中国側になんの不利な結果もないことだ。日本の企業は中国に依然、投資をつづけ、観光客は訪中をつづけ、政府は援助資金を提供し続けてきた。

 だから中国にとってこれほど便利な外交戦略はなかったというのである。

小泉首相が公式参拝したらどうなるのか、「北京オリンピックの大プロジェクトに日本企業は参加できないでしょう」といった学者がいたようで、「歴史カード」を手に経済問題など絡ませ日本をたたくというパターンを見極める必要がある。

「友好の虚実」

 中国社会では、どんな世論調査をしてもふうの調べでも、日本は人気の低い国とされ、日本人は最も好きでない民族とされる。

 中国人一般の間での「オレは日本人は嫌いだ」という類の言辞は珍しくなく、中国では日本という存在は永遠の罪人に近いらしい。

 「中国共産党の伝統的な教義からすれば日本の位置づけはあくまで悪であり、内部的にはたたいておけば安全、逆に好ましげに扱えば危険。親日志向はすぐ媚日として糾弾されがちで、日本は政治的にセンシティブな課題のようだ。」

 中国の官営マスコミは、江沢民主席の対日友好を説く重要講話をさらりと報じながらも、その一方で日本の戦時の残虐行為をまるで現在の出来事のように報じており、その結果、中国側で見る限り、官民が日本を険悪な視線でみるという実態は変わらないのである。

 日本側の友好団体がいくら友好訪問をし、友好都市の合意を結び、南京の城壁を修復し、辺境に学校を建て、植樹をし、友好の援助や贈与を重ねても、中国側一般の日本に対する冷たい態度はこれまでのところ変わっていない。

 中国側の対日友好は、中国政府の掌中だけでみごとに停止している。

 この構図では、中国の唱える中日友好とは、あくまで日本側への呼びかけであり、しかも日本が友好の名の下に中国を利する行動をとることの求めとして求めとして映る。中国当局は、明らかに自国民に対日友好を促していない。

 中日友好とは、日本側が中国の利益となる何かをしたことであって、中国が日本の利益のために何をするかという思考はすっぽり抜けおちている。

 つまり、日中友好とは中国への日本の奉仕だけを意味するようにさえ見えてくる。 日本の2000年度の中国に対する貿易赤字は、250億ドル(2兆7千億円)という史上最大額を記録した。

 

 政治とコネの友好組織を通さねば対中ビジネスができないのかどうか

 通中国側との間で問題を起こすことを避けるという傾向にある。中国の日本への輸出がものすごい勢いで増している。繊維や野菜生産業者が中国からの輸入品の洪水に打撃を受けて、輸出国日本が史上初めてセーフガード(緊急輸入制限)の発動を求めた。

日本憎悪を増幅し、永久保存する歴史教育。

中国側の行政管理

 明るい側面だけをみているようにしており、それが幸福の秘訣ではないか。

 

中国の民主主義抑圧と軍事動向には特別の注意。

 

 

2.日系企業を悩ませるモノ

(究極の腐敗システム=法は日替わり、賄賂は花盛り)

「驚異の高度成長」とか「二十一世紀の最大市場」というバラ色の診断を聞くことが多い。中国のビジネス環境に悩まされるらしく、長期展望を期待して、とにかく我慢して、あの角さえ曲がればと前進してきたのに、曲がっても曲がっても光が見えてこない。

「不透明な制度や政策、唐突な方針、唐突な変更、曖昧な執行、倫理の欠如、末端行政官など市場経済原則や国際商慣習からみて、どうも理屈に合わない規制や慣行が多すぎる。

 中央政府、地方政府、税務、衛生、警察、軍など種々の当局が日系企業にかけてくる多様な規制こそが、潜在危険だ。

 日本側が苦情をもらすのは、日本企業に高品質の日本製の鉄鋼を使って鋼材を生産する工場を開設させながら、中国企業の競争力が出てくると、急に日本製鉄鋼の輸入を制限してしまうという鉄鋼輸入規制問題、中国への特定の輸入品にかかる贈値税をその輸入品に加工して輸出した場合には還付するという制度にあまり欠陥が多いという贈値税還付問題、

地方の行政当局が勝手に貧困救済、水利供与、観光発展などの名目で日系企業の売り上げの一部を徴収する「乱収費」問題を筆頭に、中国当局が医薬品、農薬から電動工具、自動二輪車、CDまで、巨大な量の偽造品が出回るのを放置する偽造品問題や大連や広東の行政府と密着したノンバンクの国際信託投資公司が借金を払わないまま倒産するのを地元当局が放置する債務不履行問題なども、日系企業を悩ませてきた。

 こうした実情からの日本側の信頼の摩滅は、明らかに対中投資の縮小の主要因となってきた。日本の中国への投資は、契約金額で93年には1100億ドルだったのが、97年には520億ドル、99年には410億ドルまで急落した。

中国は内部に様々な矛盾を抱えているといわれている。

市場経済がGDPの7割を占めているのに、きちんと徴税するシステムが確立されておらず、地方の有力者がすべてを決める「諸侯経済」化が進んでいるといわれる。

 その象徴は、私企業の資本家を共産党員として受け入れるということにある。

中国における共産党は単なる政党ではなく、政策を遂行する政府機関でもあるから、資本家と官僚という一人二役を演じることになり、極端にいえば、自分の会社の税金を勝手に決めたり、競争相手の企業に対する様々な許認可の権限を握ることも可能になる究極の腐敗システムができあがることになる。

     法治よりも人治…役人が学校や図書館の分担金などといって雲霞のごとく押し寄せてタカリにくるといった賄賂攻撃で、日本企業が追い出されることもあるようでだ。中国の定年は男60歳、女55歳で、定年直前に一斉に汚職がはじまるので「59歳の危機」という言葉がはやっているほどで、北京政府も頭を痛めている。

   ビジネスを知らない北京政府が法律を定めるからすぐに現場で支障がでると簡単に法律を変えるという繰り返しであったため、法律が頻繁に変わる。法整備が取り組まれてきているが運用はまだまだのようだ。

 

3.ODA

これまでの約20年間に中国に供与された円借款は総額3兆2千億円。事実上の戦時賠償であり、超低金利かつ長期返済は、厳しい国内経済下では、批判も大きい。

 鉄道の電化延長の35%、港湾整備の13%が円借款によるものというから、中国の道路、鉄道、港湾などのインフラ整備は、日本のODAでできたと言っても過言ではない。

 軍事費に年間1兆5千億円もの莫大な予算をつぎ込む国に3兆円援助する馬鹿らしさは子供にでも分かる。

 それでも中国は感謝のかけらも感じていない。

 99年に日本のODAで建設した北京空港ターミナルビルを建設して、5ヶ月後に株式会社化して、香港の証券市場で売り払ってボロ儲けしたというような問題も起きている。

しかし、今日、世界の多くの企業が直接投資をしてWTOに加盟するまでに中国市場が成長したのは、ODAにようインフラ整備の成果ともいえ、概ね対中政策は正しかった。

 しかし、今後は、インフラ整備ではなく環境整備に重点を置く必要がある。隣国中国の環境破壊は、日本に直接影響を及ぼし、国益を損なう可能性がある。

 黄砂や酸性雨の問題は深刻化する。経済的援助は終わりにしても環境援助は必要。

 領空侵犯を初め中国の増長ぶり。

 

 北京の都市づくりに供与された日本の援助は、合計すれば約四千億円にのぼるが、これは、北京市が発表した2000年の一年分の予算総額に匹敵するという。

 さらに北京五輪招致のためとして発表された50のプロジェクトの筆頭にリストアップされている鉄道建設に141億円の新規対中援助が出されている。

 一国が他国の首都の建設に、これほど巨額の資金を純粋な援助として、しかもこれほど長い歳月にわたり、提供したというのは世界の近代史でも稀である。

 戦後の日本の対中政策ではODAが大きな支柱で、中国に供与されたODAの総額は、2000年までで三兆円ほどとなっている。また、もう一つの大きな影の支柱として、旧日本輸出入銀行の資金供与という対中援助がある。

 途中、「中国向けアイタイドローン(資材の調達先を日本にすることを拘束しない)」という名称に変更されたが、若干の金利差を除けば用途目的も供与方法もODAの有償援助と同様である。

 2000年までのこれに類する対中資金供与の総額は3兆3千億円となり、ODA総額よりも大きい。

 中国側一般では、ODAよりも多い額の日本の公的資金の援助を受けてきたことは、まったく知られていない。ODAよりも認知度はずっと低い。感謝の表明もないし、話題になることもない。まさに影の対中援助なのである。

 日本の対中援助は、ODAと旧輸銀資金をあわせて過去二十年間、総計六兆円にも達している。これらの資金は人口十三億の中国の年間国家予算の半分に及ぶ額であり、これを人口十分の一の日本国民が支払ってきた援助である。

中国側の感謝の表明がないこと、それらのインフラ整備が軍事産業を援助することにもつながることは極めて深刻である。

 日本の対中援助の大部分は、鉄道、高速道路、空港、港湾、通信網などの建設に投入される。その結果、中国全土の電化鉄道の40%、港湾施設の13%が日本の援助で建設されている。他の諸国がこの種のインフラ建設にはまったく援助を出していないことを考えると驚嘆すべき貢献である。

 

核兵器や長距離弾道ミサイルを装備した四百万大部隊を保有し、しかも国際紛争では、しばしば軍事力を実際に使ってきた「政権は銃口から生まれる」(毛沢東)の、中国から、戦後、軍事力を否定し、正常の軍も持たず、専守防衛、非核三原則の日本がなぜ日本の軍国主義復活、日本の軍事大国化などという批判がなされるのはおかしい。

日米同盟がなければ東アジアが安定し、反映する。米軍のアジアからの全面撤退。「アメリカの一極支配」を打破し、「多極支配」を構築するという基本政策。

 年間3兆円という貿易黒字を稼がせた相手に財政赤字に苦しむ日本がなお毎年二千億円もの援助を贈るという倒錯現象がつづくのである。

 国連安保理常任メンバーとして大国のパワーを誇示し、核兵器や弾道ミサイルを増強し、高度の経済成長を保ち、巨額の外貨保有で経済ダイナミズムを発揮し、さらには反日教育をつづけ、日本の教科書内容にまで干渉するという中国に、経済苦境の日本が公的資金をなお捧げ続けるという行為が正常な外交なのだろうか大いなる疑問である。

 

  中国のWTO(世界貿易機構)加盟

 

WTOに加盟したというのは、中国市場を対外的に開放し、グローバリゼーションの波にのみ込まれることを覚悟したこと。中国が世界経済の仲間入りをする可能性が現実的になってきたことを意味する。

 社会主義体制を守りながら市場経済化を推し進め、国有企業の構造改革などを実現しようという改革・開放路線、「社会主義市場経済」は、今のところ外圧という衝撃をバランスよく吸収しながら進んでいる。

 中国はWTO加盟によって、長い鎖国体制が打破され、市場が開放されると外資がなだれ込んでくることは間違いなく、中国の民族産業は深刻な打撃を被るだろう。

 たとえば農業は、WTO加盟で最も打撃を受ける産業の一つといわれている。

 実際、試算によれば900万以上の失業者が出るとされる。

 

戸籍制度の変革

中国には「農村戸籍」と「都市部戸籍」があり、基本的には、この両者間の移動は認められていなかったが、その制度を今後五年間かけて撤廃していく方針を固めたようだが、このことは都市と農村の一体化、すなわち国内農産物の生産・流通・販売の一体化を意味するものである。

 

 日本にチャンス 

世界銀行のレポートでは、中国のWTO加盟で最も利益を得られる可能性が最も大きいのは日本。文化に共通性があり、地理的にも交流がしやすく、関税の引き下げなど経済の一体化を進めやすいからだ。

 しかし、行動の面だけでなく、意識の面でも日本は遅れがちだ。ミクロで見る限り、中国側のさまざまな問題点が噴出してくるのは避けられないことだが、それらを誇張し、「やはり中国とは付き合えない」

などとセンセーショナルな報道がなされてきたのがこの一〇年間だった。それが突然「世界の工場」と絶賛されるようになった。

 重要なのは、ミクロでは一面しか見えないということだ。マクロ的・長期的戦略がなければ、企業は対応を誤ってしまう。WTO加盟は日本にとって」長期的戦略を構築するチャンスだ。

 

 

 中国はWTO(世界貿易機関)加盟によってどうなるか。

1978年に打ち出された改革・開放路線の定着と外資参入の増大の中で、中国経済は飛躍的に発展し、99年のGDPは世界第9位、輸出では世界第7位に成長し、申請から16年の歳月を経て、中国の世界的な貿易ルールを規定するWTO(世界貿易機関)への加盟が実現した。中国経済がより開放され、経済の透明度が上がり、市場経済への移行が促進され、外国とのビジネスがより促進されることは、中国にとってはもとより、同時景気後退局面に陥っている世界経済にとっても意義あるものである。

しかし、これによって、中国(経済)は、これまでとどう変わっていくのか。

 ●チャィニーズスタンダードは改まるか

中国はこれまで社会主義経済を原則として、改革・開放政策の推進による市場経済への移行を目指してはいるが、まだ、世界のルールとは異なる中国独特の制度が綿々と生きている国であり、透明度が確保されるのは、2010年ごろまでかかると思われる。

●規制緩和はどこまで進む

関税引き下げでは、中国は150品目の平均関税率を現行の18.6%から、10.6%に引き下げることに合意した。ただ、関税は引き下げられても販売価格には引き下げ後も7%の税がかかることから、製品によっては、安くならないモノもある。

国内産業にとっては、関税引き下げや規制緩和は、輸入増大⇒競争力の低下⇒販売不振・⇒収益圧迫という図式に陥る可能性が高く、WTO加盟は脅威となる。 

●日本企業進出は加速するか 

日本企業の対中進出は製造業においては欧米を上回っているが、サービス分野では後れをとっている。

 

●債権回収リスクの行方は

外資企業にとって、中国各省の「地域保護主義」、密輸品に国内販売政策や価格政策をたえず攪乱されてきたこと、国内商業部が流通外資に対して規制をしていたことなどが障害となってきたが、WTO加盟により、いよいよ外資企業が中国の国内市場で商品を販売する基本的な前提条件が整った。

 そこでできるだけ、多くの地域をカバーするサプライチェーン体制を構築するためには、中国地場の流通パートナーと流通拠点の決定が要点になる。

●中国の戦略産業は何か

 繊維に変わり、電機・電子が有力になってくる

●国内企業再編は進むか 

 WTOに加盟しても、15年間は非市場経済国と見なされるため、市場開放のスケジュールは段階的に移行される予定だが、その間に国内産業の体力をつけるための時間稼ぎとなるから、スケジュールを先延ばしする可能性もあるが、メーカー再編が急ピッチで進め、一層の合理化とコストダウンが迫られる。

 最も合理化が進んでいる繊維産業ですら、さらなる合理化で失業問題が深刻化するといわれている。

●中国農業は生き残れるか

WTO加盟への条件として、中国は、「発展途上国」扱いに固執したようだ。

それは、国内農業を保護する上での農産物の補助金の問題である。(先進国であればGDPの5%、途上国は10%)

農産物の関税は平均で、現在の21.2%から、2004年には17%にまで引き下げられる予定だが、中国の農産物価格は国際価格に比べ、3割から7割程度高く、国際競争力がないので、輸入農産物攻勢に対し、補助金で対抗しようということだが、極めて困難となっている。 

●人民元の交換性

 人民元は香港の一部での交換性を除いて、いまだローカルカレンシーの域を脱していない。資本取引の交換性はWTO加盟の条件ではないので、スケジュールはないが、2015年頃をターゲットといわれている。

 2008年のオリンピック、2010年にかけての関税引き下げや規制緩和(市場経済化)、そして2015年頃までに人民元の交換性が回復すれば、中国経済は名実共に国際経済とのリンケージを強め、市場経済化が促進される。

 WTO加盟は、中国の国際的地位(プレゼンス)の向上を示す上で象徴的である。しかし、同時にそれは、国際的貢献(義務)を果たすことによって、国際的信用を得るための大きな挑戦でもある。

 中国の動向を世界中が注視している。 

 

 

総括所見

 

英語圏と違って、中国語が片言もわからないので、一人歩きできないことが非常に残念なことだった。

中国側からのセッティングなので止むおえないが、食事は毎回同様なもので、夜は「乾杯」だらけの酒宴(接待)というのも何か重たかった。

もう少し、自分の目で足で、「中国(人)の本音」が見えたらいいと思った。最大のネックは言葉だから、現地通訳も数名確保し、自由に歩ける時間があると面白いと思った。また、1週間程度では限界があるが、内陸部へも足をのばせると、比較もできて良かった思う。

さて、事後学習として、読んだ本や特集記事について取り上げた体験では判断できない面も多いが、大枠として、そういう感じだと類推される。

今後、WTO加盟によって、チャイニーズ、ローカル・ルールも徐々に影をひそめ、グローバルスタンダード化していくと思われるが、日中関係については、日本が中国に与えるだけの「友好」から脱皮すべきと思う。「歴史カード」を持ち出しては、中国が日本にゆさぶりをかけてくること(日本がひれ伏すこと)が続く限り、「厄介な隣人」としてしか、友好ができないのではないだろうか。

はじめて、中国に行って、貴重な体験をさせてもらいましたが、危機意識をこえて、やたら重いダウンブローをもらったようなダメージを受けて帰ってきました。

以下に気づいた点など列記し、視察報告とする。

 

     日本のODAについては、国内がデフレ状態であるだけに、これ以上、中国に対してインフラ整備のために費やす必要はないと思う。

     西湖のほとりで、ジョギングして公衆便所に入ったが、山盛りになっていて、私も上積みしたのだが、2008年オリンピックまでには、トイレを先進国並みに整備することが必要だと思った。

     学校は、教員の採用はその学校ごとに行われる。従って、人事異動がなく(別の学校が受け入れてくれれば可能)、校長が採用し、評価する。警告してもなおらないような問題のある先生は、教育委員会にかけて、クビにするようだ。

上海当たりでは英才教育で、3歳からピアノや英会話を習わせたり、その競争力は大変らしい。(中国は原則1人しか子どもは認められないので、そのプレッシャーは大変なものと思われる)

          しかし、日本では、運動会でもなるべく競わないように、通知簿も差がないような動きとなってきた。

          この差は、いずれ比較すると、「人材なく、資源なく、働く意欲なし」の日本となるのではないか。

 .  学校の校長先生の給料が、月45000円、私と同世代の役人が4万円ぐらいだと聞いて、なぜ、ホンダのアコードをはじめ、車が売れるのかを聞いたのだが、中国人で車に乗っている人口は全体の1%に充たないという。

 しかし、1%でも数が多いということ、外資系の中国在住者も多いということだった。

 バッグや洋服のブランド品店も多かったが同様のことなのだろう。

  それでも、中国産の安い車なら、「私でも買える」と役人は胸を張った。

 

・小泉首相の靖国参拝について

浙江省の役人さんとこの話をしたら、靖国神社は戦争犯罪人が合祀されているところで、その人たちが、尊敬されるということは、あの戦争まで正しくなる。だから、認められない。ということである。

・チャイニーズ、ローカル・ルール

「法律を無視してはいないが、各々が勝手に解釈している」といったことや

「役人と仲良くしておくこと」がとても重要であるという話は、まさに不透明な規制やローカルルールがあるのだろうし、都合が悪くなると手のひらを返すようなことやコピー商品がすぐに出回ることについては、今後、徐々に解消されていくとは思うが、あくまで段階的と見ておかねばならない。

・水仙楼

福井県版のODAで建てた水仙楼であるが、日本のODA同様、あまり感謝の姿がなかったと思った。「むしろそれくらいしてくれて当然」という気配だったのだが、日本の援助に対して「乾杯」、何だかこれが「中日友好」の中身ではないかと思ったりもした。

・今度、中国に行くときは・・

地元の人の中に入って、交流を深めていきたいと思っている。

 

                                以上